『ポール・マッカートニーは死んでいる?』
そんな見出しの記事がアイオワ州にある大学の新聞に掲載されたのは1970年9月17日、ポールが27歳のときだった。
記事によれば、学生の間でポールはすでに亡くなっているという噂が広がっており、その主な根拠になっているのが、『ホワイト・アルバム』に収録されている「レボリューション9」を逆再生すると、「ターン・ミー・オン(その気にさせてくれよ)、デッド・マン」という言葉を繰り返しているように聞こえるというものだ。
この言葉の解釈を巡る中で、亡き人となったポールに「お前がいなきゃビートルズを続ける気になんてなれないよ」と呼びかけているのではないかという説が浮上してきたようだ。
その噂を今度は地元のラジオ局が拡散し、さらに他のラジオ局やメディアも取り上げ、ポールはすでに死んでいるのではないかという噂はあっという間に世界中へと広まっていった。
ビートルズの会社、アップル社は当然のことながらその噂を否定したが、当のポールがメディアの前に姿を現さないため、噂は一向に衰える気配を見せないのだった。
その頃、ポールはスコットランドにある自分の農場に雲隠れしていた。
事の発端は死亡説の記事が出る3日前の9月20日、メンバーがアップル社に集まったときのことだ。その日はキャピトル・レコードとの契約更新についての話し合いだったのだが、ビートルズの今後を巡ってポールとジョン・レノンが口論になってしまい、ジョンがビートルズの脱退を宣言したのだ。
彼がその件を口にしたのは,ぼくがちょっとしたライブを何回かやってみるべきじゃないかと言いだしたときだ。「おまえ、頭がおかしいんじゃないか。これはキャピトルとの契約が終わるまで言わないつもりでいたんだが、オレはバンドを抜けるぜ」と言われてね。言ってみればあれが、“ビートルズが解散した瞬間”だったのさ。
ポールにはもう一つ悩みの種があった。それは5月にビートルズのマネージャーとなったアレン・クラインの存在だ。
ミック・ジャガーから金銭面での悪い評判を聞いていたポールはアレンを雇うことに反対し、代わりに妻リンダの父を推薦した。
だが、ポールの主導で話が進むことを面白く思わなかった他のメンバーがそれに反発し、結果としてアレンが新たなマネージャーに就くことになった。
はじめはビートルズがアレンに搾取されていくのを何とかしようと一人抵抗を続けたポールだったが、それによってメンバーとの関係もますます悪化し、そんな日々の中でポールは疲れ果ててしまうのだった。
「一体どうしたら、あの重苦しいミーティングから抜け出せるんだろう?」と自問してね、「だったら、行かなきゃいいんじゃないか?」となったんだ。チーン! こいつはすばらしい計画だぞ! ボイコットしてやれ。世紀の名案って感じだった。
こうしてポールはロンドンを離れ、スコットランドでの隠遁生活を送り始める。
今のぼくにとっては、幸せだった時代の最高の思い出だ――リンダと一緒に暮らしはじめたころの。彼女はぼくを手助けしてくれた。
世間でポール死亡説が騒がれているのをよそ目に、妻のリンダとその連れ子、そして8月に生まれたばかりの赤ん坊とともにポールは静かに幸せな日々を満喫する。
もっとも、その噂もスコットランドまで追ってきた雑誌記者によるインタビューが公開されたことで、徐々に収束していくのだった。
リンダは家にあるギターを見つけると「あなたがギターを弾くなんて知らなかったわ!」と驚いた。ビートルズではベース担当のポールだが、もともとギターを弾いていたポールにとってブルース・ギターはお手の物だったし、レコーディングでも何度もギターを弾いていた。
そんなリンダの前でギターを弾いてみせているうちに、いくつかの新しい曲が生まれた。最初にできたのは短いストレートなラブソング、「ラブリー・リンダ」だ。
発表するつもりもなく気の向くままに曲を作っていたポールだったが、ある程度曲が増えてくるとロンドンに戻り、それらを自宅にある機材で録音し始める。
出来あがった曲はどれも飾り気のないシンプルなものだったが、それこそがポールのやりたい音楽だった。そのコンセプトは、約一年前に原点回帰を掲げて行われたビートルズのゲット・バック・セッションにも通じている。
ぼくは基本中の基本に立ち返りたかった。ビートルズでまたツアーに出たいと思ったのも、それと同じ気持ちだったし。
こうして完成したソロ・アルバム『マッカートニー』は4月にリリースされることになった。
翌5月にはビートルズの『レット・イット・ビー』が発売されるため、ソロ・アルバムの発売時期を遅らせろとアレンから苦情が入ったが、ポールは頑なに譲らなかった。
そして4月10日、ソロ・アルバムに関するメディアを招いての質疑応答の場で、ポールはビートルズからの脱退を宣言する。そこにはもう、ビートルズに固執するポールの姿はなかった。
たしかに辛くて苦しい時期だったけど、リンダと出会い、家庭をスタートさせたことが逃げ道になってくれたんだ。ビートルズだけが人生じゃないのに気づいたと言うか。
リンダの存在によって苦難の日々から解放されたポールは、ビートルズを捨てて新たなスタートを切るのだった。
引用元:『ポール・マッカートニー 告白』ポール・デュ・ノイヤー著/奥田祐士訳(DU BOOKS)
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