1966年の11月にヨーロッパ・ツアーに出掛けたザ・スパイダースが、最初に降り立ったのはオランダのアムステルダムである。
空港で歓迎に出迎てくれたのは、スパイダースの大きな手書きの絵を掲げた女の子たちだった。
オランダは国際的な複合企業、フリップスの本拠地だ。
日本からフィリップス・レコードのアーティストが遠路はるばるやってきたので、女の子たちを集めて歓迎の意を表してくれたのだろう。
彼らがオランダのテレビ局に行くと、坂本九が出演したときの写真が飾ってあった。
「上を向いて歩こう」は1963年に「SUKIYAKI (スキヤキ)」として世界中で大ヒットする前に、ヨーロッパの各国でレコードが発売になっていた。
坂本九はそのプロモーションで5年前にフランスやオランダ、スウェーデンを来訪してテレビ出演していたのだ。
1965年からヨーロッパに進出したザ・ピーナッツも、西ドイツ中心にヨーロッパで海外展開を行っていた。
当時から日本の歌手やバンドは積極的に世界を目指していたし、それなりの実績を上げていたのである。
日本へ帰国する前にもう一度、アムステルダムのテレビ局に立ち寄ると、スパイダースの写真がザ・ピーナッツの後に加えられていたという。
写真といえばイギリスのロンドンでは空港に音楽記者が来ていて、翌日には写真入りの記事が新聞に掲載された。
その記事は後に『スパイダース`69』のアルバム・ジャケットに使われている。
スパイダースはロンドンでテレビの音楽情報番組「Ready Steady Go!(レディ・ステディ・ゴー)」(ITV)にも出演している。
「レディー・ステディー・ゴー」の合言葉は「Weekends starts here!」、1963年8月から金曜日の夕方に放送が開始されたが、その年の初めにビートルズが「Please Please Me」で大ヒットをとばした。
その後に一気にブレイクしたビートルズやストーンズが何度も出演していた「レディ・ステディ・ゴー」は、ファッショナブルでセンスのいい観客たちが参加していたので、当時のモッズと呼ばれた若者たちには圧倒的な影響力を持っていた。
バンドが続々登場してきたブリティッシュ・ポップの最盛期とぴったり重なり合った「レディ・ステディ・ゴー」は、流行に敏感な少年少女たちの心をとらえただけでなく、最新のファッションや新しいステップを発信する情報番組でもあった。
新人クラスのバンドはこの番組に出演できるか否かでスタート・ダッシュが決まったし、アメリカはじめ海外からのゲストもしばしば登場していた。
だが、1966年12月に突然に終了してしまった。
スパイダースは幸運にもギリギリのタイミングで、出演が間に合ったとも言える。
スパイダースが出演した日はスティーヴ・ウィンウッドが在籍していたバンド、スペンサー・デイヴィス・グループや、ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズなどが一緒だった。
収録時の模様を、かまやつひろしがこう語っている。
彼らはアテぶり、つまりレコードやテープに合わせて演奏する格好だけしてみせるスタイルでやっていたが、スパイダースはライブで演奏した。
「サッド・サンセット」と、アニマルズがリバイバルさせたジョン・リー・フッカーの「ブーン・ブーン」の二曲だ。
公開放送なので、観客を前にしての演奏だったが、思いのほか受けた。
このツアーにスパイダースはギターからアンプまで、ヤマハから提供された楽器一式を日本から持っていった。
ところが仕事を終えて帰国する時になって、税関の関係で日本には持ち帰れないことが判明した。
ではどうしたのか?
かまやつひろしは自伝に、こんな事実を書き残している。
だったら誰かにあげてしまおうということになって、ひと揃い全部、ぼくの大好きなスペンサー・デイヴィス・グループに進呈した。
その時彼らは知らん顔だったが、その後、スペンサー・デイヴィスから「確かにいただきました」というエアメールが届いた。
八〇年代になってスペンサー・デイヴィスが来日した時、彼がぼくのことを覚えていて探していたと、後から聞いた。
会ってあの時の話をしてみたかったな。
いかにもスパイダースらしい、粋なエピソードだった。
●この商品の購入はこちらから
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから
TAP the POPメンバーも協力する最強の昭和歌謡コラム『オトナの歌謡曲』はこちらから。