1964年9月16日、ブルージーンズの加瀬邦彦は最初の音を聴いただけで、「な、なんだ!! この音は? このサウンドは?」と、後楽園アイスパレスのプラスチックの椅子からひっくり返ってしまったという。
今回の衝撃は最大級だった。今までに聞いたことのないサウンド、音の厚さ。
二人とも身を乗り出して、目と耳を全開にして聞き入った。まさに黒船の到來だ。
そのバンドの名前はリヴァプール・ビートルズ、16日から27日まで開催された「世界・サーフィン・パレード」というショーのリハーサル時の出来事だ。
最新流行の音楽、サーフィンをタイトルに付けたこの催しには、イギリスからリヴァプール・ビートルズ、西ドイツからスザンヌ・ドンシェット、モーリン・ルネ、スウェーデンからインゲラ・ブランデルというロックンロール・バンドが来日した。
日本側の出演者は寺内タケシとブルージーンズ、ジャニーズ、クールキャッツ、東京ビートルズ、スリー・ファンキーズ、内田裕也、田川譲二という面々だった。
この日、イギリスから来たリヴァプール・ビートルズの歌と演奏で、日本のバンドマンたちは初めてビートルズ以降のビート・バンドが出す、本物のサウンドやグルーヴを体験したのである。
日本で勝手にビートルズの亜流のような名前を付けられたのは、1963年にイギリスでビートルズがブレイクした直後、ロンドンで結成された5人組のビート・バンド、リヴァプール・ファイヴだった。
彼らはデビュー前のビートルズと同じく、ドイツへ巡業に行ってハンブルグやスイス、オーストリアなどのクラブにも出演していたが、そこではブルース・サウンズと名乗っていた。
それにしても日本のプロモーターが東京ビートルズに対向するバンドとして、勝手に名付けたリヴァプール・ビートルズという名前は、いかにも紛い物といったバンド名だった。
スパイダースのかまやつひろしは「ビートルズの二番煎じ丸出し、ローカルのイモバンド」とみなして、ひと泡吹かせてやろうというつもりで対バンに臨んだところが、いざ演奏を観て驚いてしまったという。
「あまりのすごさに、ぼくらは、腰を抜かしそうになった」
同じスパイダースのキーボーディストで、後に作曲家として大成した大野克夫もこう証言している。
「 使ってるマイクがいい音してたんです。AKG(アー・カー・ゲー)の四角いマイク。アンプもビートルズが使っているのと同じVOX社製。そういうもの一つひとつがすごく印象深くて、痺れてましたね」
GSブームのメッカとなるジャズ喫茶、新宿ACBで行われた公演にも、評判を聞いたバンドマンたちが「本物」を見るために数多く駆けつけた。
リヴァプール・ビートルズが持っていた「本物」感が、ロカビリー・ブームの延長にあった歌手やコンボ、勃興しつつあった日本のエレキバンドに大きな影響を与えたのだ。
その後に一大ブームを巻き起こした日本のグループサウンズは、今ではビートルズから始まったとされることが多いが、実はリヴァプール・ビートルズこそが最初の黒船襲来という役目を果たしていた。
ブルージーンズがさっそくアンプを、同じVOX社製に替えたのは言うまでもない。
年が明けた1965年1月、アメリカからは本物のサーフィン・サウンド、ベンチャーズが来日して日本では一挙にエレキ・ブームに火がついた。
まもなくエレキバンドを率いて、自作の歌を歌う加山雄三ブームを経て、ビートルズ来日の後に爆発的なGSブームの到来に至るのだ。
日本に大きな置き土産を残したリヴァプール・ビートルズは、同じ頃にオリジナル・メンバー5人でアメリカのメジャー、RCAと契約してデビューを飾っている。
その実力は世界レベルでも通用するものだった。
だが、残念ながらヒットには恵まれず、今ではすっかり歴史の彼方に消えつつある。