いくら天賦の才能に恵まれたアーティストであっても、それが人に認められなければ歴史に残る歌は生まれないし、後世に伝わっていくこともない。そこには人と人との出会いがあり、いくつもの物語が存在している。
ビートルズが空前絶後の成功を収めて素晴らしい楽曲の数々を生み出したのは、ブライアン・エプスタインというマネージャーに出会ってからのことだ。
リヴァプールでレコード店を経営していたエプスタインは、ヘアースタイルや衣装からステージ・パフォーマンスに至るまでアイデアを出し、情熱を傾けてビートルズを売り出して最初の成功をものにする。
レコード・デビューを目指して奔走していたエプスタインがEMI傘下の弱小レーベル、パーロフォン・レコードの制作責任者だったジョージ・マーティンに面会したのは、1962年の5月9日ことだった。
デッカのオーディション音源を聴いたマーティンは、バンドのライブも観ていないのにレコーディング契約の意思を示した。そのときの印象についてこう振り返っている。
実のところ、あまりいいとは言えないと思ったんだ。だが、言葉にはできない、良質の粗削りさといったものが感じられた。それまで聴いたことのない種類の何かが。
エプスタインはビートルズに電報で、EMIがオーディションしてくれるという吉報を伝えた。
6月6日にEMIスタジオで行われたデモ・テープ録りでは、ラテンのスタンダードだった「ベサメ・ムーチョ」と、オリジナル曲の「ラヴ・ミー・ドゥ」、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」、「アスク・ミー・ホワイ」、計4曲がレコーディングされた。
マーティンはその後、リバプールにも足を運んでライヴを体験し、良質の粗削りの奥にある魅力を確信する。そしてそれからの数年間、ビートルズの音楽に潜んでいた独創性を引き出して、多様な音楽的アプローチを教えて成功に導いていくことになる。
しかしレコード・デビューについては、ひとつだけ危惧していたことがあった。それはピート・ペストの技量についてで、レコーディングのときにはスタジオ・ミュージシャンを起用することを提案した。
それがきっかけとなってエプスタインとビートルズの3人は、ピートを外して新しいドラマーのリンゴ・スターを迎え入れることになる。こうして4人が揃ったビートルズは10月5日、「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビューして神話となっていく。
その後もマーティンはソングライターとしてのジョン・レノンやポール・マッカトニーの可能性に気づき、さまざまなオリジナル曲が生まれる手助けをし、後世まで語り継がれるいくつものアルバムを世に誕生させた。
ビートルズの才能を持ってすれば、いずれにしても成功したのかもしれない。しかし、ビートルズの登場によって塗り替えられた音楽史を見れば、プロデューサーとしてのジョージ・マーティンの功績が、言葉に尽くせないほど大きかったことがわかる。
(この原稿は2015年5月9日に公開されたものに加筆訂正を施したものです)
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