1963年12月26日、アメリカではビートルズの新曲「抱きしめたい(I Wanna Hold Your Hand)」のシングル盤を、キャピトル・レコードが発売予定日を繰り上げて急遽リリースした。一部の地域のラジオ局がイギリス盤をオンエアしたところ、大変な反響を呼んだことから慌ただしく決まったことだった。
そして年末から年始にかけて、「抱きしめたい」は各地でブレイクして、1月18日には全米チャートで見事にトップの座についた。
それまでイギリスとヨーロッパの一部で有名だったビートルズは、アメリカ中に知れ渡ったことで世界的なアイドル・グループへと飛躍していくことになる。
ケネディ大統領が暗殺されて希望が失われた1963年の年の瀬に、自由と平和を求める若者たちは打ちひしがれていたが、そこに新しい希望の火が灯ったのだ。
ではその時、日本ではビートルズがどのように報じられていたのだろうか。
海外から入ってくる最新情報を伝えていた音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の記事は、「英国史始まって以来のアイドル4人組 アメリカじゃ売れないとの声も」というタイトルだった。
【US1月4日】由緒正しい伝統の国イギリスで話題を独占しているのは、なんとボサボサの長髪を揺らして歌う男性4人の若者たちだ。1962年にデビューした彼らは、昨年一年間で数百万枚のレコードを売り、一気にイギリスのティーンエイジャーの心を捕らえた。そのビートルズがいよいよアメリカに勝負をかけてきた。
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メンバーの一人ポール・マッカトニーが「アメリカに行けてうまくいったら最高だね。わくわくするよ」と無邪気な発言をしているが、はたして音楽土壌の違う我が国で、イギリス並にビートルズは人気が出るのだろうか。
ビートルズが、当時のアメリカでは音楽シーンにおける一時的なアイドルとしか見なされなかったことがわかる。日本ではその頃、アメリカからの情報がほぼ一方的に信じられていたので、ビートルズは新しいアイドルとして売り出されることになった。
その記事はまるで見当はずれの、こんな結論で締めくられていた。
聞き方によっては調子っぱずれにも聞こえなくもない彼らの歌と、喧しいだけのエレキ・ギターの音がもしアメリカでも売れるとなると、世も末だ。
実際にはビートルズの「抱きしめたい」は大爆発を起こし、年が明けて2月には本人たちがアメリカ上陸を果たしたことから、空前のブームとなって大きな社会現象として取り上げられた。
そして彼らは、自分たちの音楽をさらに発展させることでアイドルを脱却し、世界一のロックバンドへと進化していったのである。
何ゆえにそれを可能にしたのかといえば、彼らが音楽の世界に「バンド」というフォーマットを標準化させたことが挙げられる。基本的にドラムス、ベース、ギターの合同演奏と歌だけで、実にさまざまな音楽を表現できるということを彼らは実証した。
バンドのメンバーによるオリジナル曲を、自ら歌って演奏するというスタイルを確立したことは、その後のロック・バンドが前例のない表現の領域に挑戦していく第一歩となった。

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