1963年12月24日。
ロンドンのアストリア・シネマではビートルズによるクリスマス・ショウが初日を迎えていた。
リバプール出身の4人組バンド、ビートルズはその年の3月に2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」で初となる全英シングルチャート1位を獲得した。
その人気はとどまるところを知らず、全英アルバムチャートにいたっては5月から翌年4月末まで51週間、およそ1年間に渡ってビートルズが首位を独占し続ける。
コンサート会場には熱狂的な女性ファンが詰めかけ、ビートルズの4人は空前絶後の人気を誇るアイドル的存在となった。
そんな中、彼らのマネージャを務めていたブライアン・エプスタインは、かねてからやりたかった演劇を取り入れたクリスマス・ショウを企画する。
チケットが発売されると12月24日から1月11日まで全30公演の10万枚は見事に完売した。
ショウでは従来のコンサートと違い、演奏に加えて4人による劇などが用意された。
ジョン・レノン扮する黒尽くめの悪役、ジャスパー卿に誘拐された哀れな少女(中身は女装したジョージ・ハリソンだ)を、“怖いもの知らずのポール”が助けるというストーリーだ。
その他にもリンゴ・スターによるパントマイムなど、様々な出し物が披露されていた。着替えや準備のために4人がステージを降りるときは、他のバンドやシンガーが演奏して合間をつないだ。
その様子はロック・バンドのライブというものではなく、アイドルのイベントといった様子だった。
ちょうどクリスマス・ショウ真っ只中の12月26日、海を越えたアメリカでは新たな動きが起こり始めていた。
ビートルズの新曲「抱きしめたい」が、ラジオで大変な反響を呼んだことから、キャピトル・レコードが急遽、発売日を前倒ししてリリースしたのである。
「抱きしめたい」は爆発的にブレイクして、年が明けた1月18日には見事に全米チャートでトップを獲得した。
こうしてそれまで無名だったビートルズの名はアメリカ中に知れ渡り、ビートルズはイギリスのアイドルから世界的なアイドルへと飛躍していく。
多くの人たちはこの当時ビートルズをアイドル的存在として見ていたが、彼らは自分たちの音楽をさらに発展させていくとともに、自力でアイドルを脱却して世界一のロックバンドへと進化していくことになるのだった。
それでも1964年12月には前年と同じコンセプトで、ロンドンのハマースミス・オデオンで「アナザー・クリスマス・ショウ」がイブの24日から公演された。
2度目のクリスマス・ショウの初日、ジョージ・ハリソンはのちに生涯の友となる人物との出会いを果たしている。
その日、出演していたバンドの中には19歳の若き天才ギタリスト、エリック・クラプトンを擁するヤードバーズの名があった。
ジョージは舞台裏でヤードバーズの面々と言葉を交わしたという。
「そのときエリックと出会ったんだけど、ほんとうの意味で知り合いになったわけじゃなかった」
この時の2人はよもや、1人の女性をめぐる恋敵になることになるとは夢にも思わなかっただろう。