1973年3月1日にリリースされた、ピンク・フロイド8作目のスタジオ・アルバム、『狂気』(原題:『The Dark Side of the Moon』)。
彼らにとって最大のヒットとなった今作は、これまでに全世界で5000万枚以上売り上げたと言われ、ビルボード200に15年間もランクインし続けたというギネス記録も持っている。
このアルバムのレコーディングが始まったのは1972年の5月。
夏にリリースする新作のためスタジオに集まったメンバーだったが、まだ曲はほとんど出来ておらず、リフなど断片的なアイデアがいくつかあるだけだった。
しかも彼らはツアーを目前に控えており、時間的な余裕もあまりなかった。
そんなある日、ロジャー・ウォーターズが持ってきたのが、コンセプト・アルバムにしようというアイデアだった。
「全篇を通してのテーマがほしいんだ、鼓動のある生活とかなんとか。そうすりゃ、ほかの曲もできるだろ。人生に立ちはだかるあらゆるプレッシャーとかさ……」
アルバムの軸となるイメージが決まったことで、バラバラだった曲の断片は意味を持って繋がれていき、次々と新しい曲が生まれた。
それらの何曲かはツアーでも演奏され、その度に改良されていった。
当初のリリース予定だった夏には間に合わなかったが、アルバム制作に十分な時間を費やすことができ、『狂気』はメンバーも満足のいく出来に仕上がるのだった。
とは言ってもリリース後の大ヒットは、メンバーの予想をはるかに上回るものだった。
『狂気』がこれほどヒットした理由の1つについて、デイヴ・ギルモアは歌詞が明確で分かりやすくなったことを挙げている。
「というのも以前の歌を理解出来なかった人達や、違った意味を見出してしまう人達にロジャーはほとほと嫌気がさしていた。うん、一度か二度は話し合ってみたことがある。
もっと歌詞をやさしくわかりやすいように書いてみればいいんじゃないかと……」
作詞を手掛けたロジャー自身も、このアルバムが伝えようとしていることは分かりやすいものだと説明している。
「人生が提供してくれるいいものはすべて、俺たちがつかめるところにあるのに、俺たちの性質に巣食う暗い力が、それをつかむことを邪魔しているんだっていう、しごくシンプルなメッセージだと思うよ」
『狂気』では太陽と月をモチーフに、明と暗、善と悪、生と死といった様々な事柄が音と言葉で映し出されていく。
そして“月の裏側”、すなわち人間が持つ負の性質によって失われたものを次々と突きつけられる。
自身の内面にある“月の裏側”を見せられるのは決して心地のいい感覚ではないが、8曲目の「ブレイン・ダメージ」でロジャーはリスナーにこう呼びかける。
♪
もしダムが何年も経たずに決壊するなら
丘の上に居場所がないのなら
悪い予感で頭が爆発してしまいそうなら
月の裏側でお会いしましょう
♪
そのメッセージの意味についてロジャーはこのように語っている。
「僕もまったく同じだからこそ、君がそんな嫌な感じとか衝動を抱いていることがわかるんだ。で、君と直接コンタクトする方法のひとつは、『僕もときどき嫌な感じに襲われるっていう事実を分かち合うってことなんだよ』ってね」
参考文献:
『ピンク・フロイド BRICKS IN THE WALL』カール・ダラス著/広河泰家訳(CBSソニー出版)
『ピンク・フロイド One Of These Days』立川直樹著(シンコーミュージック)