前代未聞の大掛かりなツアーが始まったのは1980年2月。
それはピンク・フロイドが1979年にリリースした2枚組の大作、『The Wall』のツアーだった。
ピンクフロイドの実質的リーダーとなっていたロジャー・ウォーターズは、はじめ自伝的な作品を作るつもりだったが、そこに元メンバーであるシド・バレットのイメージを重ねるというアイディアが加わり、ピンクという名の主人公が様々な体験の中で心に壁を作っていく物語へと発展していった。
サウンド面でもデヴィッド・ギルモアの才能が光り、『The Wall』は全世界で2000万枚以上を売り上げてピンク・フロイドの代表作の1つとなる。
『The Wall』のツアー「The Wall Performed Live」は、アルバムの壮大な物語をステージ上で再現するというコンセプトのもと様々な仕掛けが用意され、それはライブという枠を完全に超えてまさにロックオペラというべき豪華な演出となった。
冒頭、ピンク・フロイドが登場して1曲目の「In The Flesh?」が終わると、戦闘機が客席の頭上からステージに墜落して火花を散らす。
すると今度は後ろから別のピンク・フロイドが登場する。はじめに登場したバンドは影武者だったのだ。
物語が進むにつれステージ上では本物の壁が築き上げられていき、中盤では巨大な壁が客席とステージの間を遮断する。
後半は壁を使った様々な仕掛けが用意され、クライマックスではついに壁が崩壊する。
「The Wall Performed Live」は各メディアから大絶賛されるも、はじめから採算を度外視して演出にお金をかけていたので公演する度に赤字が出てしまうため、追加公演もなくわずか4会場の全30公演で終わる。
このツアーでメンバーは3億円の借金を抱えることになった。
ところでピンク・フロイド内でメンバー同士の関係性が崩れ始めたのもこの頃だった。
ロジャーは『The Wall』のレコーディング中には折の合わなかったキーボードのリック・ライトを解雇する。
ツアー中は、メンバーの楽屋として4台のキャンピング・カーが用意されたが、車は円状に並べられてドアは顔を合わせないよう外側に向くようになっていた。
リックはロジャーの希望だったと語っている。
「デイヴとニックと私は嫌だった。ロジャーはギグにも自分自身の車で行きたがったし、いつも他のみんなとは違うホテルに泊まっていたよ。自分から孤立していた」
ロジャー自身も次のアルバムを最後にピンク・フロイドを脱退、その後はピンクフロイドを引き継いだデヴィッド・ギルモアと泥仕合を繰り広げた。
ステージに築き上げられた壁はライブの終盤で崩れたが、ロジャーとメンバー間にそびえ立った壁は崩れ落ちるまで長い年月を要することになる。