ポップアート界の第1人者として注目を集めていたアンディ・ウォーホルが手がける全く新しいショウ、『エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル』の第1回公演がニューヨークで開催されたのは、1966年1月13日のことだ。
メインを務めるのはヴェルヴェット・アンダーグラウンド(ヴェルヴェッツ)と、ウォーホルの映画『チェルシー・ガール』で主役を務めた元モデルのニコだった。
真っ暗な室内を怪しげな照明が照らす中でダンサーが舞い、ヴェルヴェッツの演奏とともにルー・リードの文学的な詩が響き渡り、観客も巻き込んで異様な空間を築き上げていく。
のちに彼らの代表作の1つとなる「ヘロイン」は、このとき初めてステージで披露された。
どこに向かっているかも分からないが
もし可能ならば神の国に行きたい
そこなら「俺は男だ」って気になれるから
静脈に注射針を打ち込めば
本当に何もかも違うのさ
ルー・リードは1964年の10月に大学を卒業した後、ニューヨークでピックウィック・レコードというマイナー・レーベルで作曲家としての職を得た。
ところがスタジオ・ミュージシャンがヒット曲をカバーするだけの低予算、低価格なレコードを主力とする会社の方針と合わなかったために、ルーはわずか4ヶ月で退職してしまう。
しかしその4ヶ月が人生を大きく左右することとなった。
ルーが書いた「ザ・オーストリッチ」という曲にヒットの可能性を感じたレーベルが、スタジオでレコーディングすることにしたときに、会社の人間に連れられて現れたのがジョン・ケイルだった。
スタジオで意気投合したルーとジョンは共同生活をスタートさせる。
まもなく会社をやめたルーは、ジョンとともにヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成し、本格的にバンド活動を開始するのだ。
そんな彼らに出会って目をつけたのが、ポップ・アートの第一人者として名を馳せていたアンディ・ウォーホルだった。
ウォーホルの主宰するスタジオ「ファクトリー」は、ニューヨークにおけるポップ・カルチャーの中心地となり、ボブ・ディランやローリング・ストーンズのミック・ジャガー、作家のトルーマン・カポーティ、モデルのイーディー・セジウィックなど、ミュージシャンから文化人、モデルやアーティストたちの集まる場となっていた。
アートの世界にとどまらず、映画製作など活動の場を広げていたウォーホルは、音楽やダンス、映画など様々な表現活動を融合させた新しい舞台に挑戦したいと考えた。
そのときに「ファクトリー」の人間からヴェルヴェッツの存在を教えてもらうと、まったくの無名だった彼らにイベントへの参加を打診したのだ。
音楽とダンス、フィルムと照明を組み合わせて、会場に来た聴衆も巻き込んだマルチメディア・イベントの『エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル』が、文化人を中心に高く評価されて公演を重ねる中でヴェルヴェット・アンダーグラウンドという名が少しずつ広まっていった。
このイベントの成功により、アンディ・ウォーホルは彼らのアルバム・プロデュースを引き受けた。
そしてのちのロック・シーンに多大な影響を与えることになるアルバム、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』が生まれることとなる。
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから
こちらのコラムも合わせてどうぞ
現代アートの伝説〜アンディ・ウォーホル
疲れと乾きの中でディランが心惹かれた「色」-Just Like A Woman-