ジム・モリソン、イギー・ポップ、ブライアン・ジョーンズ、ボブ・ディラン、そしてアラン・ドロン…みんな彼女の恋人だった。
「カヴァーガールの女王」
「アンディ・ウォーホルの静かなスーパースター」
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのディートリッヒ」
「月の女神」
「パンクのガルボ」
「最後のボヘミアン」
そのすべてが彼女にふさわしい肩書きだった。名前はニコ。本名はクリスタ・ペーフゲン。60年代中頃から70年代初期にかけて、歌手・女優・ファッションモデルとして活躍をした彼女は、まさに時代の“Femme Fatale(宿命の女)”だった。
一般的には、ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドでの短期間の活動と、アンディ・ウォーホルとの関係でその名を知られた存在である。
1988年の7月18日、ニコはスペインの地でこの世を去った。地中海西部のバレアレス諸島にあるイビサ島の自宅近くで自転車で転倒し、頭を強く打って病院に運ばれ、レントゲン写真で脳内出血が確認され、数時間後に息を引き取った。享年49とされているが、その真相は謎めいたままだという。
彼女は生まれながらの嘘つきだった。幼い頃からたくさんの嘘をついていた。彼女はそれを“お話”と呼んでいた。その嘘は大人達から“ロマンティックな夢想”と呼ばれ、笑顔で見逃されていた。そして…この世を去る日まで嘘をつきまくった。友人達は皆、その“ちょっと変わった癖”を許した。
生年月日や収入や恋愛に関して嘘をつくのは、ごく当たり前のことだったという。その出生の記録も確かなものではない。1944年にブタペストで生まれたのか? あるいは1943年にベルリンで生まれたのか? それとも1942年ケルン、1938年ポーランド…諸説あってどれが本当なのか? 誰も知らないのだ。
両親がロシア人なのか? それともロシアとトルコのハーフなのか? ロシアとポーランドとドイツとトルコのクオーターなのか?
死亡記事には、そんな不確かな生い立ちが自信なさげに書かれていた。ロンドンの新聞『タイムズ』紙は“〜と思われる”、“おそらく〜だろう”、“〜という”を多く使ってその記事を書く羽目になった。『インディペンデント』紙が選んだのは、“さまざまな説があり”や“おそらく〜だろうが、違う可能性もある”という言い回しだった。『ニューヨークタイムズ』紙は、生年月日に触れることすら避けたという。
10代の頃から身長が180cmあった彼女は、パリを中心に『VOGUE』『ELLE』などの人気ファッション誌のモデルとして活動していた。1960年にはフェデリコ・フェリーニ監督の映画『甘い生活』に端役で出演。この頃からニューヨークに移り、しばらくの間はヨーロッパとアメリカを行き来しながら活動を行う。
1965年、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの紹介によって、イギリスで1stシングルを出すが…商業的には成功しなかった。このシングルのB面はジミー・ペイジが作曲とプロデュースを担当している。
この頃、ボブ・ディランの紹介でアンディ・ウォーホルに出会う。一瞬にしてその容姿と雰囲気に魅了されたウォーホルは、自身が主宰する“ファクトリー”の実験映画にニコを出演させる。
さらにウォーホルは自らがプロデュースしていたルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドに彼女を参加させ、1967年3月に1stアルバム『The Velvet Underground and Nico』をリリースする。
いわばウォーホルに“ゴリ押し”された形のバンドメンバーは、当然彼女を受け入れることを拒み…2作目以降の作品に参加することはなかった。
そんな状況にはおかまいなしに、ウォーホルはニコを女神のように祭り上げようと“新たな一手”を打つ。
同年10月、ボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウン等に曲提供を依頼し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバーも参加させた1stソロアルバム『Chelsea Girl』を世に送り出す。また、1969年には当時恋人関係にあったイギー・ポップとも作品を制作している。
ニコはその後もソロアーティストとしてアルバムを発表するが、1973年の『The End』を最後に長い低迷期に入る。80年代に入って、バウハウスやエコー&ザ・バニーメンといったバンドに代表されるニューウェイヴのムーヴメントの中で高い評価を受けることとなる。この時期から、日本を含む世界各地でライブを活発に行い、その模様を数枚のライブアルバムに記録している。
また、一時期の恋人アラン・ドロンとの間に、クリスチャン・アーロン(愛称アリ)という男児をもうけている。ソロ名義による2ndアルバム『The Marble Index』(1969年)に収録した「Ari’s Song(アリの歌)」は、その名の通り息子のことを歌った曲である。また、3rdアルバム『Desertshore』の収録曲「Le petit chevalier」では、幼い頃のアリの歌声を聴くことができる。
<参考文献『ニコ―伝説の歌姫』リチャード ウィッツ(著)浅尾敦則(翻訳)河出書房新社>