アレサ・フランクリンにとって、サンフランシスコにあるフィルモア・ウェストでの3日間は新たな挑戦だった。
1960年代後半、コロムビア・レコードからブラック・ミュージックの名門、アトランティック・レコードに移籍したアレサは、敬愛するオーティス・レディングの「リスペクト(Respect)」をカバーして全米1位を獲得した。そして聴くものの魂を揺さぶるような力強い歌声で、“クイーン・オブ・ソウル”と呼ばれるようになる。
オーティスはアレサのヴァージョンを聴いて、「この曲はもう彼女のものだ」と高く評価した。アレサは全米の黒人たちの心を掴んだ、そう言っても過言ではなかった。
だが、アレサとプロデューサーのジェリー・ウェクスラーはそこで満足せず、さらに多くのファン、つまりは白人のファンも開拓したいと考えていた。そのための足がかりとして西海岸を代表するライブハウス、フィルモア・ウェストでのライブを企画する。
フィルモア・ウェストは看板アーティストとしてグレイトフル・デッドやジェファソン・エアプレインを抱え、数多くのロック・バンドを輩出してきた、いわばロックの聖地である。
アレサが活動拠点としていたニューヨークと違って、当時の西海岸ではブラック・ミュージックがそれほど浸透していなかった。観客のほとんどは白人、しかもその多くがヒッピーというアウェーな空間でライブを成功させるべく、ウェクスラーは様々な対策を講じている。
セットリストにはビートルズの「エリナ・リグビー」や、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」など、ロック・ファンにも馴染みのあるカヴァーを取り上げた。
バックを務めるバンドも、それまでアレサとともにツアーをしてきたバンドではなく、アトランティックが誇る世界最高のリズム・セクション、キング・カーティス&キングピンズを起用した。
オルガンにはビートルズのゲット・バック・セッションに参加したことでも知られるビリー・プレストンを、さらにはアレサの歌に負けないホーン・セクションとして、メンフィス・ホーンズを用意して磐石の布陣を敷いた。
フィルモア・ウェストでの公演は、1971年の3月5日から3夜連続で行われた。
案の定、ほとんどの観客は白人だったが、アレサが登場すると、大きな歓声で迎えられた。1曲目に代表曲でアップテンポな「リスペクト」を歌うと、客席は早くも一気にヒートアップする。もしも観客の反応が悪かったら、というのはいらぬ心配だった。
アレサの熱唱、そして最高のバックバンドによるグルーヴ感あふれる演奏は、いとも簡単に人種の壁を取り払ったのだ。
最終日にはレイ・チャールズが飛び入りするという嬉しいサプライズもあり、フィルモア・ウェストでの3日間は大盛況に終わる。
その模様がライブ・アルバム『Aretha Live at Fillmore West』としてリリースされると、R&Bチャートで1位、全米アルバムチャートでも7位を記録した。
この時にシングル・カットされたのが「明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)」で、アレサはグラミー賞の最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を獲得する。
7月には再びフィルモア・ウェストでのライブが実現し、アレサの西海岸への挑戦は確かな実を結んでいくのだった。
(注)本コラムは2014年9月30日に公開されました。
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