日本にエレキ・ギターの魅力を伝えて、仲間同士でバンドを組む楽しさや演奏する喜びを、最初に教えてくれたのはベンチャーズだった。
1959年に結成されたベンチャーズは、結成から50周年目の2008年にアメリカで「ロックの殿堂」入りしたが、日本ではそれから2年後の2010年4月29日に発表された春の叙勲で、「旭日小綬章」を受章している。
「僕らは日本では1962年にギター・ブームを起こして、その年はビートルズの倍は売れていたね」と、オリジナル・メンバーのドン・ウィルソンが語るように、人気がピークだった1965年に出たライブ・アルバム『ベンチャーズ・ライヴ・イン・ジャパン’65』は、当時としては最大級の売り上げを記録した。
しかし1966年にビートルズが来日して圧倒的な「カッコ良さ」と同時に、「音楽性の高さ」も見せつけた後は勢いにも陰りが出てくる。だがそれを乗り切って日本の文化に馴染んでいったのは、ベンチャーズ歌謡が証明する日本との「相性の良さ」のおかげだった。
エレキバンドをバックに歌うポップス系女性歌手というジャンルを開拓したベンチャーズは、「北国の青い空」(奥村チヨ)、「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)がヒットして日本に定着していく。
ところで最初に彼らが日本を意識して作った楽曲は、銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」というインストゥルメンタル曲。そこに「上を向いて歩こう」の作詞家、永六輔が「二人の銀座」という日本語の歌詞とタイトルを付けて、日活映画の青春スターだった和泉雅子&山内賢が唄った。
アマチュアでも唄いやすくて様になる「二人の銀座」は、今も歌い継がれている最初のベンチャーズ歌謡だ。
インドのシタールから生まれたエレキ・シタールは、ローリングストーンズが1966年の春に大ヒットさせた「黒くぬれ」に使われてから世界中に広まった。
「黒くぬれ」にインスパイアされたベンチャーズは、イントロの展開を「GINZA LIGHTS」に用いただけでなく、印象的なエレキ・シタールのリフをヒントにして「Kyoto Doll」を作ることにもなる。
1970年開催の日本万国博覧会を記念した「Kyoto Doll」は、アメリカでのタイトルは「EXPO’70」、エキゾチックな日本がテーマだった。日本語でこれを歌った渚ゆう子の「京都の恋」は大ヒットして、レコード大賞の企画賞を受賞する。
インド楽器のシタールを媒介にして生まれたローリングストーンズの曲が、ベンチャーズによって銀座と京都を舞台にするふたつのラブソングに使われて、日本人がそれを好んで愛聴したという現象からは、海をわたって伝わって来る異文化が、それぞれの国や風土に溶け合うことでポピュラー化していく様がよくわかる。
ちなみにベンチャーズはライブで、まるで種明かしでもするかのように「京都の恋」と「黒くぬれ」の2曲を、ギターからシタールに持ち替えてメドレーで演奏している。