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1940年に作られた「蘇州夜曲」が21世紀にまで受け継がれているのはなぜか?

2014.06.13

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「蘇州夜曲」は1940年に作られた映画、『支那の夜』の劇中歌として誕生した。

日中戦争の時代に中国人スターとして人気を博した李香蘭(山口淑子)と、日本を代表する二枚目スターの長谷川一夫が共演し、上海を舞台に繰り広げるラブ・ロマンスの『支那の夜』は日本で大ヒットしただけでなく、中国、台湾、朝鮮、香港、ベトナム、タイ、フィリピン、ビルマ、インドネシアなど、日本の占領下にあった国々でも公開されて人気を博した。

作曲家の服部良一が作った流麗な音楽が流れるメロドラマのなかで李香蘭が歌う「蘇州夜曲」は、アジアの国々にまで歌い継がれていった。

そのメロディーとサウンドには中国の風土と日本人の情感、そして西洋のクラシックとアメリカのジャズが、絶妙に溶け合っていた。
それが民族や国境の壁を超えて、甘く美しい調べとして広く受け入れられた理由だろう。


生涯に2000曲を優に超える作品を作り、日本のポップスの源流となった服部良一は、自分の作品で最も好きな1曲に「蘇州夜曲」を挙げている。

服部は1938年に中国各地で戦っている兵士たちを慰問するための芸術慰問団に参加し、唐代に活躍した詩聖・白楽天が愛した杭州の西湖で、湖に浮かべたボートの上で即興でサックスを弾いたことがあった。

その時のメロディーがもとになって生まれたのが「蘇州夜曲」である。
これは作詞家・西條八十の甘美で哀切な抒情詩が、服部の記憶を引き出してくれたのだった。

懐かしのメロディーとして親しまれるだけでなく、日本が生んだ名曲中の名曲として「蘇州夜曲」が認識されるきっかけは、ジャズ・シンガー出身の雪村いづみが1974年に出したアルバム、「スーパー・ジェネレイション」である。


日本におけるロックを確立したバンド、はっぴいえんどの細野晴臣と鈴木茂に、林立夫と松任谷正隆が加わって作られたキャラメル・ママの4人は、服部良一の長男で作・編曲家の服部克久のプロデュースのもとで、オリジナルを発展させて新たな解釈による味わい深くてクールなサウンドに仕上げた。

ベテランの雪村いづみが伸びやかに歌ったこのヴァージョンが、音楽を目指す若者たちにもこの歌のほんとうの素晴らしさを気づかせる。

1980年代に入るとゲルニカの戸川純が久世光彦が演出したテレビドラマ『刑事ヨロシク』のなかで、ビートたけしと歌って注目を集めた。


その後もASKA、サンディー、奥田民生、HONZI、米良美一といった、それまでの歌謡曲というジャンルとは異なる分野の歌手に見出されて、「蘇州夜曲」は1980年代から90年代にかけて新しい音楽ファンに浸透していった。

やがて21世紀を迎えると山本潤子(2000年)、EPO(2001年)、石川さゆり(2001年)、、香西かおり(2001年)、渡辺美里(2002年)、おおたか静流(2002年)、遊佐未森(2002年)、アン・サリー(2003年)、平原綾香(2003年)、INO hidefumi(2006年録)、100s(2007年)、小田和正(2007年)、夏川りみ(2007年)、二階堂和美(2008年)、KOKIA(2008年)、藤田恵美(2008年)、UA(2010年)と、堰を切ったかのように数多くのシンガーにカヴァーされて、いまでは不動のスタンダード・ソングとなっている。

雪村いづみ,キャラメル・ママ『スーパー・ジェネレイション』
Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)

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