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追悼・大森昭男~次々と作品がボツになっても、なぜ大瀧詠一はCMに起用され続けたのか?

2025.03.29

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大瀧詠一は、1972年の11月に初のソロ・アルバム「大瀧詠一」を出したものの、73年と74年は自分のアルバムを1枚も出さず、いわば雌伏の期間を過ごしながらナイアガラ・レーベルの準備をしていた。

はっぴいえんどが解散したのが1972年の末日、年が明けた73年の1月9日には大瀧家に長男が生まれている。

オン・アソシエイツの大森昭男から電話が入り、三ツ矢サイダーのCMソングを依頼されたのは1月下旬、福生市へ転居した直後のことだった。

2月1日に初めて会った二人は、まもなく名作「サイダー’73」を作ってCM音楽に新時代をもたらすことになる。だが、そこから80年代半ばまで続いた二人のCM作品作りは、決してなだらかな道などではなかった。

CMソングというものは本来、スポンサーや広告代理店というクライアントの要望に合わせて作られる。ところが大瀧詠一は自分の作品発表の場として、一貫して自由な音作りをしていた。だから音楽のクォリティは高かったが、スポンサー受けは良くはなかった。

当然だが、没(ボツ)になった作品は数多い。あの名作「サイダー’73」にしても、ボツになった作品だったのである。

「こんな鼻づまりの声はダメだ。さわやかなサイダーには女性の声がいい」


大森は朝日(現・アサヒ)ビールの責任者から、作り替えるようにと指示された。だが作品の出来栄えを気に入っていたクリエイターや電通の担当者たちと、制作に手間取っていることにして「サイダー’73」をオンエアしてしまったという。


大森:作り替えてますからと報告しつつ最初のものをこっそり流してしまった(笑)。そうしたら二日目三日目くらいにはスポンサーや代理店に電話とか反響の手紙が沢山寄せられたの。
大瀧:ねえ、その反響があったというのは嘘でしょう(笑)。
大森:いやいや、反響があったんです、僕は見てないけど。電通の人は一般視聴者から手紙が来ていると言ってましたからね。
大瀧:でも、手紙くらいいくらでも作れそうな気がするけどね、電通の人なら(笑)


こうして既成事実を作った大森は、それから同じ曲をフォーク調の女性コーラスで仕上げたものをスポンサーに聞かせると、視聴者から電話やハガキが来て反応がいいからと説得して、「サイダー’73」で通したのである。

大森は資生堂の「アシ・アシ」と「サマーローション」でも、大瀧詠一を音楽に起用して続けて2本のCMを制作していた。だが、ここでもまた「女性用化粧品に男の声は駄目だ」と、資生堂の責任者からクレームがついて、「サマーローション」はボツになってしまった。

しかし、どういうわけかこの時もたった1回だけ、そのCMがオンエアされていたのだという。

オンエアされるはずがないというのに流れてしまった。誰かがたくらんだのかもしれない。これは勿体ないって。


笑顔でそれを語る大森を聞く限りは微笑ましいエピソードに聞こえてくるが、実際は制作者たちだけでなく広告代理店にも理解のある人間がいて、新しい広告表現を目指す現場の意欲を活かそうと、体を張ってクライアントを説得したり、ごまかしたりしながら大瀧の音楽を応援していた。

資生堂の「サマーローション」以降も、日立電気の「日立キドカラー」、江崎グリコの「コメッコ」と2本立て続けに大瀧の作品はボツになっている。それでも大森昭男は迷うことなく、大瀧に仕事を発注し続けたのだった。

それに応えて大瀧も自分の創作ペースを崩さず、妥協することなく、CMソングという場を使って様々な新しい音楽的実験を試みていった。

15秒から30秒サイズが基本のCMソングの場合、2時間程度でレコーディングを終えるのが普通だ。ところが大瀧詠一の場合は数時間、ものによっては平気で夜を徹しての作業になった。スタジオ代だけでも通常の数倍は経費がかかった。

15秒から30秒のCMヴァージョンが完成した後も、そのバリエーションやロング・ヴァージョンを作る大瀧に対して、大森はCMで使わないことを承知のうえで、納得がいくまで作品作りをさせている。

音楽がボツになった場合もギャラは満額とまではいかないが、だいたい半分は支払われたという。クォリティの高い音楽作品は、大瀧の手元に着実に残っていった。

イメージ通りのサウンドに仕上げるために、大瀧は自らエンジニアを務めるようになり、試行錯誤の結果わかった知識やノウハウは、確実にその頭のなかに蓄積されていった。

自身の創作活動の一貫としてCMソング作りに精力を注ぎながら、大瀧はココナッツ・バンクやシュガーベイブをレコーディングにも起用した。

新しい音楽を模索していた大瀧の才能に賭けて大森が、コンスタントに仕事を発注したおかげで、ナイアガラ・レーベルの構想も一歩、二歩と前進していった。

大森はその時、自分の恩師であるCM音楽の生みの親、三木鶏郎に繋がるような人間の魅力と表現の本質を、大瀧のなかに感じていたのである。

(注)本コラムは2014年11月14日に公開されました。なお文中の発言はすべて、CM音楽をたどることによって日本の音楽史を綴った労作、田家秀樹著「みんなCM音楽を歌っていた―大森昭男ともうひとつのJ‐POP」(スタジオジブリ刊)からの引用です。


大滝詠一『Best Always(初回生産限定盤)』
2014年12月3日発売予定(SMJ)


『三木鶏郎リリカル・ソングス』(コンピレーション)
SOLID REOCRDS

田家秀樹『みんなCM音楽を歌っていた―大森昭男ともうひとつのJ‐POP』(単行本)
スタジオジブリ (2007/08)

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