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ジョン・フォガティ〜南部色の底に潜むアイリッシュの源流

2024.05.27

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アメリカでアイリッシュが多い街といえば、東海岸のニューヨークやボストンがすぐに思い浮かぶ。しかし、実のところアイリッシュ・アメリカンの人口が最も多い州はカリフォルニアなのだ。人口の多い州なので、割合は7.5%でもニューヨーク州を凌ぐ257万人(2010年の統計)が住んでいる。

特に北カリフォルニアには19世紀半ばのゴールドラッシュで一攫千金を夢見た人びとが押し寄せ、その中でもアイリッシュの割合が高かった。それ以来サンフランシスコではカトリックのアイリッシュの存在感が大きく、その郊外エルセリートに育ったジョン・フォガティも苗字でもわかるように、その一人だ。

1960年代後半にフォガティがクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)で放ったヒット曲の数々は、生粋の南部人が書いたと誰もが思い込むほど南部色濃いもので、主にブルーズとR&Bの影響が強かった。ただし、10代前半の彼はロックンロールと共にフォーク・ブームに大きな刺激を受けた。母親に連れられて行ったフェスティヴァルで、憧れていたピート・シーガーやサム・ヒントンらに実際に会っている。

また、カリフォルニア育ちゆえ、ラジオでベイカーズフィールド産のカントリー音楽にも親しんでおり、バック・オウエンズが大好きだった。彼がアイリッシュ・ミュージックを聞き込んだという発言や記述は見つけられないが、それを源流とするフォークやカントリーは黒人音楽と同じくらいに、彼の音楽の素養となっているわけだ。

また、CCRのヒット曲の多くはヴェトナム戦争が泥沼化していた時代に反戦や社会批評の歌として機能したが、ジョンの兄トム・フォガティは1970年のインタヴューで、困難な状況におかれた人びとの感情を歌う音楽としてのブルーズを語る中で、アイルランドの内戦とレベル・ソングについても触れていた。兄弟はアイルランドの抵抗の歌にもインスピレーションを得ていたのだろう。

CCR解散の翌1973年にフォガティは『The Blue Ridge Rangers』を発表する。バンド名義だが、一人で全部の楽器を演奏したソロ・アルバムだった。その名前はアパラチア山脈の一部であるブルー・リッジ山脈のことで、主にスコッツ・アイリッシュの住民がオールドタイム、ブルーグラス、アメリカーナとなる音楽を育んだ地域に敬意を払ったもの。フォガティのブルーグラスやカントリーへの嗜好を全開にした内容となっていた。

それから36年後、2009年にフォガティは再びそのバンド名を引っ張り出し、続編『The Blue Ridge Rangers Rides Again』を発表した。前回とは異なって、腕利き奏者を集めたバンドとの録音となっている。彼がそこからさかのぼって、アイルランドのミュ-ジシャンとコラボする日も遠くないのではないか。

アイルランドの内戦とレベル・ソング
60年代半ばに米国の公民権運動に影響され、北アイルランドのカトリック住民が就職や住居、選挙制度などの差別撤廃を求める運動を始める。そのデモへの警察の弾圧を機に対立が激化し、アイルランド共和軍(IRA)などのカトリック系組織とアルスター義勇軍(UVF)などのプロテスタント系組織がお互いにテロを繰り返し、多くの住民に犠牲が出た紛争(「ザ・トラブルズ」)が30年ほども続くことになった。当時高い人気を誇っていたクランシー・ブラザーズ&トミー・メイケムは、イースター蜂起50周年の66年に「Freedom’s Sons」「The Irish Uprising」と2枚ものレベル・ソング集を発表したが、それは北アイルランドの状況に呼応するものでもあった。アイリッシュ・アメリカンでフォーク音楽も好きだったフォガティ兄弟なら、そういった歌にも耳を傾けていたはずだ。

*このコラムは2014年3月に公開されたものです。



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