ロックンロール時代の幕開けを象徴する映画として知られる『暴力教室』が、日本で公開されたのは1955年8月のことだった。
しかし、子どもへの悪影響を危惧した教育団体やPTAなどから、各地で上映禁止運動が起こる。そうした騒ぎがマスメディアに取り上げられたために、ロックは日本でも社会現象に押し上げられていった。
西城秀樹の誕生日は1955年4月13日、まさにロックが日本に上陸した年に生まれた。
アメリカではエルヴィス・プレスリーがテネシー州のメンフィスにあるサンレコードから1955年に登場し、翌56年にメジャーのRCAに移籍してブレイクして、ロックの代名詞のような存在になった。エルヴィスが全世界に認められたのは、1956年に「ハウンド・ドッグ」と「ハートブレイク・ホテル」がヒット曲したからだった。
エルヴィスの影響で世界の各地で若者たちも、ロックンロールやカントリー、ブルース、R&Bのレコードを聴き始めた。エルヴィスの影響下に育ったという意味では、ビートルズもローリング・ストーンズも、ボブ・ディランもロックの申し子たちといえる。
「ハートブレイク・ホテル」に心を撃ち抜かれた少年少女は、日本各地にもたくさんいた。その中のひとり、横浜のフェリス女子学院に通っていた安井かずみは、やがて作詞家になって成功する。
1972年にデビューした西城秀樹のために、ロック衝動に満ちた「ちぎれた愛」や「激しい恋」の歌詞を書いた作詞家もまた、エルヴィスを通してつながっていたロックの申し子だった。
日本にオリジナルのロックナンバーが誕生したのは、1958年から59年にかけて大ヒットした水原弘の「黒い花びら」が最初だった。
これは8分の6拍子で書かれた3連符のロッカバラードだが、1959年に制定された第一回の日本レコード大賞でグランプリに選ばれている。日本初のロッカバラードになった「黒い花びら」は、その後の音楽シーンにも大きな影響を与えている。
エレキを持った若大将の加山雄三が唄った「君といつまでも」、森進一のむせび泣くような「女のためいき」、前川清のヴォーカルがダイナミックなクールファイブの「長崎は今日も雨だった」、藤圭子のブルース「圭子の夢は夜ひらく」などは、いずれも三連符のロッカバラードだった。
そんな「黒い花びら」を聴いて育ったのが、幼稚園児だった西城秀樹である。著書「誰も知らなかった西城秀樹。」には当時の思い出として、こんなエピソードが書いてあった。
幼稚園の頃は太っていた。この頃から目立つ男の子で、その当時とても流行った歌『黒い花びら』をよく歌った。あるとき幼稚園の先生に、「もっとかわいらしいお歌を、歌いましょうね」と言われた。
先生が注意したとおり、「黒い花びら」は大人に向けて作られたポピュラーソングだった。しかも西城秀樹はこの歌がヒットした時に、まだ4歳の幼稚園児であった。
しかし彼は小学4年生になった時から、兄のバンドでドラムを叩くようになっていく。それは単に早熟だっただけではなく、ロックを正面から受けとめる感性と、自分でそれを表現できるという気持ちを持ち合わせていたからだろう。
そのあたりはエルヴィスとも重なってくるのだが、生まれながらにして音楽の資質に恵まれていたのは間違いない。
西城秀樹がドラムスクールに通うようになったのは、兄とバンドを組む相談をしたからだという。そこで決めたバンド名の「ベガーズ」について、著書のなかでこんな経緯だったと説明している。
相談はまとまったものの楽器をそろえる資金がない。「ぼくたちは、貧しいコジキと同じだ。でもなんとかやろう」と笑いあった。そんなところからバンドの名称を『べガーズ(コジキたち)』とつけた。ぼくは家の手伝いをさせてもらって、こづかいをもらい、おんぼろのベースを手に入れ、やがて龍寿にいさん達とジャズ・スクールで猛レッスンに励んだ。
それから4年後の1968年、ローリング・ストーンズが傑作アルバム『ベガーズ・バンケット(Beggars Banquet)』を発表している。ジャケット写真からもわかるように、タイトルは貧しいホームレスたちの晩餐を意味していた。
両者は同じ時代に、ベガーという言葉に着目していた。偶然とはいえ、西城秀樹がロックの申し子であることを、証明するかのようなエピソードだと言える。
ところでエルヴィスは実際に自分で詞や曲を書かなくても、先人たちが残した音楽をカヴァーすることで、自分にしかできない表現を生むことが出来た。
そこもまた西城秀樹のライブにおける表現の幅と、そのまま重なってくる資質であった。彼がライブでカヴァーした古今東西の名曲のひとつ、中島みゆきの「時代」も3連のバラードの傑作である。

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