ミュージックソムリエ

夭折のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの謎に包まれた生涯(前編)~見出された才能

2017.11.13

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1969年から1972年の3年間にたった3枚のオリジナルアルバムを遺して、26歳の若さで夭折したイギリスのシンガーソングライター、ニック・ドレイク。その歌声は、少し憂いを帯びて儚げでありながら親密さも感じられ、聴く者の心をすぐさま虜にしてしまう魅力がある。
彼の音楽は近年になってますます再評価が高まっているが、その短いキャリアと生涯については謎が多い。そんな彼の人物像に迫ろうと、パトリック・ハンフリーズは2005年に「ニック・ドレイク~悲しみのバイオグラフィ」を著した。

パトリック・ハンフリーズは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンについての著書もある音楽ライターで、彼もニック・ドレイクの音楽に魅了された一人だ。
1974年に26歳で生涯を閉じたニック・ドレイクの一般的なイメージは、鬱病に苛まれ、深い悲しみに縁取られていた。口数の少なかったニックは、インタビューでの証言や書き残した言葉なども少なく、ハンフリーズは執筆にあたって、ニックと交流のあった人たちからの証言を集めることで、ニック・ドレイクという人物像を浮かび上がらせていく。

するとニック・ドレイクの人生が少なくとも学生時代は幸せな日々を送っていたことが明らかになったのだ。
英国の上流階級の男子が通うパブリック・スクールで過ごした10代は、多くの仲間とともに音楽やスポーツを楽しみ、時々学校を抜け出してはロンドンで刺激を受けたり、ドラッグやアルコールにも少し興味を示すような、ごく普通の青年だった。仲間の間では、ニックは少々内気なところもあったが陽気でユーモアのある青年だったという印象だ。

ニックはパブリック・スクール時代に音楽に興味を示し、ピアノや管楽器やギターを独学で習得して、早くも天才的な才能の片鱗を周囲の仲間に見せていた。ケンブリッジ大学に進んでからは、ますます音楽にのめり込み、友人の家に行って自作の曲をギターで弾き語って聴かせ、多くの友人たちを圧倒していたという。その時によく歌っていた「タイム・ハズ・トールド・ミー」や「リヴァー・マン」などの数曲が、1969年のファースト・アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』に収録されている。

River Man



ニックがギターを弾いて歌うのは、ほとんどが友人の家であったが、時折大学やロンドンのクラブなどのステージでも歌うことがあった。そのライヴの一つを観て衝撃を受けたというフェアポート・コンヴェンションの当時のベーシスト、アシュリー・ハッチングスが、ジョー・ボイドにニックを紹介したことから、ニックのプロデビューへの扉が開いた。

ジョー・ボイドは、1960年代半ばのロンドンにおいて、伝説のクラブUFOを開業し、エリック・クラプトンやスティーヴ・ウィンウッドらを発掘し、さらにはピンク・フロイドのデビュー・シングルのプロデュースを手がけるなど、ロンドンの音楽シーンの最先端をいっていた人物だ。そして自身のプロダクションを設立し、フェアポート・コンヴェンションのマネージメントを行っていた頃にニック・ドレイクと出会う。

ニックからオープン・リールのデモ・テープを受け取ったジョー・ボイドは、彼の音楽に衝撃を受け、すぐさま自身のプロダクションと契約させると、早速デビュー・アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』のプロデュースに取りかかった。アルバムのレコーディングには、フェアポートのリチャード・トンプソンを始め、著名なミュージシャンが参加した。また、ニック自身の推薦によって、大学時代の友人ロバート・カービーが「ソウツ・オヴ・メリー・ジェーン」や「フルーツ・トゥリー」などの数曲で、美しいストリングスのアレンジを担当した。



アルバムのタイトル『ファイヴ・リーヴス・レフト』は、リズラ社の巻き煙草用薄紙パックの終わりの方に印刷された注意書きにヒントを得ているという。また、「ソウツ・オヴ・メリー・ジェーン」の「メリー・ジェーン」はマリファナを指す隠語でもあり、1960年の終わり頃の雰囲気を漂わせながら、そういったところにニックのユーモアも垣間見られるのだ。

Thoughts of Mary Jane


デビュー・アルバム『ファイヴ・リーヴス・レフト』は、アイランド・レコードからのリリースであることと、ジョー・ボイドによるプロデュースということから、一部の熱心な音楽ファンの間で購入された。アルバム自体の評価は高かったものの、シングルがリリースされなかったことと、ニックがプロモーションのためのライヴやインタビューを嫌ったこともあり、イギリス国内で数千枚しか売れなかった。激動の1969年という時代の中で、静かなニック・ドレイクの音楽は目立たずに埋もれてしまうのだった。


1970年にリリースされたセカンド・アルバム『ブライター・レイター』も前作同様、ジョー・ボイドのプロデュースによってレコーディングされた。ロバート・カービーのアレンジ、そしてリチャード・トンプソンらを始めとする豪華メンバーに加え、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルも「フライ」と「ノーザン・スカイ」の2曲に、プロデュースとピアノなどの演奏で花を添えている。



アルバム全体の雰囲気は、前作よりもゴージャスに、そしてジャズやフォークの域を超えた豊かなサウンドになっている。そこには、ニックの音楽の一番の理解者でもあったジョー・ボイドの、彼にかける強い思いも感じられるのだ。

Northern Sky


この時ニックとレコーディングを共にしたミュージシャン達の証言によると、ニックの音楽的才能は認めるものの、学生時代の友人の証言とは対照的に、あまりにも内気で無口なニックが何をどう考えているのか全く掴めない印象だったというのだ。しかし考えてもみれば、ファースト・アルバムのレコーディング時にはまだ10代の学生だったニックが、ベテラン・ミュージシャン達を前にして緊張し、もともと少し内気な青年がさらに口数が少なくなってしまうのは、無理もなかったのではないだろうか。

学生時代には多くの友人に囲まれ、言葉少なくてもわかり合える友がいた。そして家族にも愛されていた。しかし無口で内気な青年は、しだいに他者とのコミュニケーションが苦手になった。音楽だけが、彼の内なる世界を表現でき、自分と他者とをつなぐことのできる手段だった。
レコーディングに十分な時間をかけ情熱を傾けたニックは、この『ブライター・レイター』が前作以上の成功をおさめるだろうと信じていた。
しかし、アルバムの売り上げは前作同様に振るわなかった。
そしてこの後から、ニックの様子が少しずつ変わり始めたのだった。

(後編に続く)


参考文献:「ニック・ドレイク~悲しみのバイオグラフィ」パトリック・ハンフリーズ著 真田潤、和久井博人訳 有限会社ストレンジデイズ発行

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