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バート・ヤンシュを偲んで〜ジミー・ペイジ、ノエル・ギャラガー、ジョニー・マーに影響を与え“英国のボブ・ディラン”と呼ばれた男の足跡と功績

2022.10.05

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2011年10月5日、バート・ヤンシュ(享年67)がロンドン北部ハムステッドのホスピスで亡くなった。
後日、死因は癌と発表された。
彼のトリビュートライヴがロンドンのロイヤルアルバートホールで開催されたのは、その死から2年経った2013年12月3日だった。
ステージには発起人のレッド・ツェッペリンのロバート・プラント、彼が率いたバンド、ペンタングルのメンバーのほか、同郷(スコットランド)のドノヴァンや、同世代のSSWとして知られるラルフ・マックテルらが登場し、才人を偲んだという。


彼は1960年代に活躍したギタリストのデイヴィ・グレアムや、フォークシンガーのアン・ブリッグスからインスパイアされたギタープレイを武器に“英国のボブ・ディラン”と称されることもあったという。
しかしディランとは違い、歌詞ではなくインストゥルメンタルでの表現を得意としたアーティストである。
ニール・ヤング、ポール・サイモン、ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)、ノエル・ギャラガー(オアシス)、ジョニー・マー(ザ・スミス)、バーナード・バトラー(スウェード)、ニック・ドレイクなど幅広い世代のアーティストに影響を及ぼしたことでも知られる才人だった。


1943年11月3日、スコットランドで生まれた彼は、10代の頃にギターと出会い、音楽の道へ進むこととなる。
ウディ・ガスリー、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ライトニン・ホプキンス、ブラウニー・マギーなどを聴いて青春時代を過ごした彼は、高校卒業して庭師として働いていたという。
1963年、二十歳となった彼はヨーロッパ各地を放浪しながら、バーやカフェで演奏する生活を始める。
あちこちへとヒッチハイクしながら旅をしていた彼だったが、1965年にモロッコのタンジールで赤痢に感染し、その後イギリスへと送還されることとなる。
療養後すぐにロンドンで初録音し、同年には自身の名前をタイトルにした1stアルバム『Bert Jansch』をリリース。
1966年には『It Don’t Bother Me』『Jack Orion』『Bert and John』(ジョン・レンボーンとの共作)と立て続けに3枚のアルバムを発表している。
1967年には、後に英国トラッドフォーク界きっての名バンドとなるペンタングルを結成し、イギリスの音楽シーンに大きな功績を残す。
ペンタングルの魅力と言えば、枠には収まらない多様で豊かな音楽性で、彼らがライブで見せるインプロヴィゼーション(即興演奏)は、ジャズにも匹敵するような鬼気迫るものがあったという。


1973年、ペンタングルを脱退(事実上の解散)し、それからの数年間は妻や子供と共に農場生活を送っていたという。
1977年にはカナンドラム(Conundrum)という新たなバンドを結成してオーストラリア、日本、アメリカへと、6ヶ月かけて公演旅行をした。
しかし、バンドは1ツアーで解散。
彼は単身アメリカに渡り、同じくイギリスから渡米したアルバート・リーと組み、アルバム『Heartbreak』(1982年)を発表する。
80年代に入ると、新たなメンバー構成でペンタングルを再開させる。
その後もソロ名義でのアルバムをコンスタントに制作し、精力的に活動をしていたが…2009年(当時65歳)に肺に腫瘍が見つかり治療に専念する。
数ヶ月後に奇跡の復活を遂げた彼は、ニール・ヤングとの共同巡業を行い各地のファンを湧かせていた。
しかし再び体調不良を訴え、検査を受けたところ…末期癌と宣告される。
晩年はロンドン北部ハムステッドにあるホスピスで過ごしていた。
そして2011年10月5日、彼は施設のベッドで静かに息を引き取ったという…




【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki

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