2005年11月5日、“永遠の不良少年”と呼ばれた孤高のギタリスト、リンク・レイ(享年76)がデンマークのコペンハーゲンにある自宅で死去した。死因は心不全とされている。
1950年代にカントリーバンドのギタリストとして活動を開始。ほどなくしてロックンロールの洗礼を受け、エレキギターのボリュームを爆音で演奏するようになる。
エルヴィス・プレスリーが新しい時代のヒーローとして人気を博していた頃に、常に “自分のスタイル”を突き詰めようとしていた。その結果、アンプのスピーカーに傷をつけてギターの音色を歪ませるという、なんとも不良っぽい発想で独自のサウンドを作り出したのだ。
1958年に発表したシングル曲「Rumble」は、ある意味ロックギターの歴史を塗り替えたと言っても過言ではない。
もともとドゥーワップソングから発展したというその楽曲。テンポはゆったりしていて、単純なスリーコードを交互に弾くだけのインスト曲なのだが、そのギターの音色がそれまでにはない“不良の響き”だった。
曲名の意味は「乱闘」、そしてリーゼントに革ジャンという不良ならではのファッション。そんな“危険な存在”を嫌って、当時一部のラジオでは放送が自粛された。

ピート・タウンゼントを筆頭に、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア、そしてマーク・ボランなど、影響を公言しているギタリストはジャンルの壁を超えて多数いる。

朝鮮戦争(1950年-1953年)に徴兵され従軍したが、結核にかかり除隊。肺を患ったことで歌をあきらめ、ギターテクニックを磨くことに集中し始める。除隊後、2人の兄弟を含む友人らと共に「Lucky Wray & The Palomino Ranch Gang」を結成してバンド活動をスタートさせる。

同番組を通じてレコードデビューのチャンスを掴み、29歳にして「Rumble」を発表。今までになかったそのインパクトのあるサウンドとタイトルから、「少年犯罪を助長する」という理由で一部では放送禁止となる。
しかし、同曲はアメリカのみならずイギリスでも大ヒットを記録し、当時まだ10代だったキンクスやザ・フーのメンバー、そしてジミー・ペイジなどに多大な影響を与える。後にピート・タウンゼントこんな言葉でリンク・レイの功績を讃えている。
「リンク・レイこそが俺にとってのキングだったんだ。初めて“Rumble”を聴いた時にはぶっ飛んだよ。あれを聴かなかったらギターなんて弾き始めなかったと思う」
1950年代後半から1960年代前半にかけて、「Ace of Spades」「Rawhide」「Jack the Ripper」など数曲のヒットを放つが…その後一旦リタイア状態となる。
1970年代後半からヨーロッパを中心に再評価されるようになり、ロカビリーシンガーのロバート・ゴードンと共に2枚のアルバムをリリースして本格的に復帰。
1980年代には、そのカリスマ性のあるサウンドとルックスから、カルト的な存在として新世代のアーティスト達にもリスペクトされるようになり、元KISSのエース・フレーリーとバンドを組むなど、常に現役感のあるプレイでファンを沸かせていた。
50代の時に出会ったデンマーク人の妻(4番目の妻でインディアン文化の研究者)と共にデンマークで暮らしながら、1990年代、2000年代となっても新作を発表し、ヨーロッパ、オーストラリアなどへと地道にツアーを続けていた。その孤高の美学に溢れたステージは、2005年に亡くなる4ヶ月前まで続けられた。
Rumble: Best of Link Wray
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