1978年にイギリスで結成されたプリテンダーズは、翌年にリリースされた3rdシングル「ブラス・イン・ポケット」の爆発的なヒットによって人気バンドとなった。
頻繁なメンバーチェンジを繰り返しながらも、決して止まることなく活動を続けてきたバンドの中心人物がクリッシー・ハインドだ。
クリッシーは2014年に初のソロ・アルバムをリリースした時、ガーディアン紙で受けたインタビューで自身のターニングポイントとなったライブのエピソードを語っている。
それは1965年頃、クリッシーが14歳のときだった。
プリテンダーズはイギリスで結成されたが、クリッシーが生まれ育ったのはアメリカのオハイオ州、アクロンという都市だ。
ある日、地元で催されたフェアの特設ステージでは、ロックバンドが会場を盛り上げていた。友人と来ていたクリッシーが見たのは、デトロイトからやってきたミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ホイールズ。
リトル・リチャードやジェームス・ブラウンに影響を強く受けていた彼らは、他のバンドを寄せ付けないほどの激しいパフォーマンスで人気を集めていた(彼らはブルース・スプリングスティーンにも多大な影響を与えている)。
時刻は夕方、西日が後ろから会場に差し込む中で照明がステージを照らしていた。ステージに上がった彼らが演奏を始めるやいなや、クリッシーはたちまち彼らのサウンドに魅了されてしまったという。
切れ味の鋭いギター、叩きつけるような激しいドラム、そしてしゃがれた声のミッチ・ライダーが発する吠えるようなシャウトが彼女の耳に飛び込んできたのだ。
しかし、クリッシーにさらなる衝撃を与える出来事が起きた。メンバー同士がステージ上で殴り合いの喧嘩を始めたのだ。拳が飛び交い、機材はスクラップになり、当然彼らのステージは中止となった。
「私の人生の中でも、もっともエキサイティングな出来事だったわ」
クリッシーは自分もバンドを組もうと決心する。だが、それは決して簡単な道ではなかった。彼女を満足させるようなギタリストが、なかなか見つからなかったのだ。
アマチュアバンドを転々としたクリッシーは、かねてから興味のあったニュー・ミュージカル・エクスプレス紙(NME)で働くべく、1973年に単身でロンドンに渡ってライターの職を得る。しかしライターの仕事では、クリッシーの心が満たされることはなかった。
クリッシーはその後、バンドを探し求めてフランスに行ったり、オハイオに戻ったりしていたが、70年代の後半に入るとロンドンではパンク・ムーブメントが盛り上がり始めた。
そこで再びロンドンへと戻ったクリッシーは、クラッシュのミック・ジョーンズらと親交を深める。だが、出会った人たちは皆バンドを組んでおり、ここでも彼女はバンドに入る事ができなかった。
流れが変わったは1978年の3月。ベーシストのピート・ファーンドンと出会って意気投合したことから、2人はバンド結成に向けて動き出す。
ピートの同郷でドラムのマーティン・チェンバース、そしてギターのジェイムス・ハニーマン・スコットが加わり、バンド名はサム・クックの歌う「グレート・プリテンダー」(オリジナルはプラターズ)から取ってプリテンダーズと名付けられた。
ようやく自分が求めるバンドを手に入れたクリッシーは、翌1979年1月にプリテンダーズでレコードデビューする。バンドを結成することを心に決めてから10年以上の月日が過ぎており、当時14歳だった少女は27歳になっていた。
パンクシーンから遅れて登場したプリテンダーズは、R&Bやソウル、ロック、パンクなど様々なジャンルの音楽を取り込んで、音楽シーンに新たな風を吹き込んだ。
「ブラス・イン・ポケット」のようなソフトでキャッチーな曲でヒットを放つ一方、ときには14歳のときに見たミッチ・ライダー&デトロイト・ホイールズのような激しいプレイで、自分たちの音楽をかき鳴らすのだった。
PRETENDERS (40TH ANNIVERSARY DELUXE EDITION)
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