留置番号22番、それがポールに与えられた番号だった。
ポール・マッカートニーが大麻所持容疑により日本で現行犯逮捕された。そんな衝撃的なニュースが世界を駆け巡ったのは1980年1月16日のこと。
ポールはウィングス日本公演のために家族と一緒に来日したが、成田空港の税関でスーツケースに入れて持ち込んだマリファナが発見されたのだ。
東京・中目黒にある関東信越地区麻薬取締官事務所へと連行されると、心配して事務所のまわりに集まったファンが「イエスタデイ」などビートルズの曲を合唱していた。
取り調べが終わった後で警視庁に移送されたのは、麻薬取締官事務所に留置施設がなかっためで、容疑者の勾留は警視庁に頼むことになった。
ポールを案じて集まったファンに取り囲まれて身動きが取れないために、移動の際には機動隊に出動を要請してファンを排除する騒ぎもあった。
同じ頃、フィリピン・マニラの拳銃密輸事件にからんで仲間一人を射殺した男が殺人罪で逮捕されていた。その極道・瀧島祐介は翌日の朝、二階の一角にある名前ばかりの運動場でポールと出会う。
刑務所の受刑者とは違って留置場内の被疑者は基本的に私服であり、ポールはカジュアルなジーンズ姿だった。
瀧島が知っている英語は「ハロー」と「サンキュー」ぐらいだったが、思い切って「ポール! ハロー!」と話しかけてみると、一瞬の間があって「ハロー!」と返事があった。そしてポールは歩み寄ってくると、笑みを浮かべて手を握ったという。
とっさに瀧島は英語のできそうな人間を探し、学生運動の過激派メンバーだった若者に声をかけて通訳を頼んだ。通訳を通じて聞いた話によると、ポールはマリファナで捕まったのだが罪の意識がほとんどないと分かった。
そもそもポールはスーツケースの中のいちばん上に、ビニール袋入りの大麻を無造作に置いていた。そして税関でそれを発見されて騒がれても、いっこうに悪びれるところはなかったという。
この件についてポールは後日の会見で、「僕はマリファナを危険なものだとは考えてないし、日本で重罪になるなんて知らなかった」とコメントしている。
しかし海外のミュージシャンにとって、日本の税関が麻薬に関して特に厳しいというのは周知の事実であり、ポール自身も1975年に来日公演を予定していたものの、大麻不法所持による逮捕歴を理由にビザが取り消されてしまった過去があった。
さらにはビートルズを日本に呼んだ男、キョードー東京の永島達司からも、事前に電話で「マリファナは絶対にダメだ」と釘を差されていたという。
にもかかわらず、なぜポールはマリファナを持っていたのだろうか。
永島はポールに同行していた娘のヘザーが持ち込んだものを、父としてとっさに庇ったのではないかと推測している。だが真相は謎のままである。
話を戻そう、それはポールが出所する前日の1月24日の夜7時ごろのことだった。「五房」にいた瀧島は期待を込めて、数メートル離れた「二房」にいるボールに聞こえるように叫んだ。
「ポール!イエスタデイ、プリーズ!」
ポールが留置所を出て行く前に、どうしても歌を聴きたかったのだ。すると2人の留置係が瀧島のところに走ってきて注意し、歌は聴けずじまいかと思われた。
と、その時、奇跡が起きた。ボールは私の声が聞こえたのだろう。「OK!」と叫んだ直後、冷たい床の板を手と足で叩き、リズムをとり始めたのだ。そのリズムたるや、最高であった。
(瀧島祐介著『獄中で聴いたイエスタデイ』より)
そしてポールがアカペラで「イエスタデイ」を歌い始めると、留置係もあえてそれを止めることはしなかった。
昨日まで
あらゆるトラブルとは無縁だと思っていた
それが今はここに留まっているみたいだ
ああ、昨日だと信じたい
歌が終わると留置所内は拍手喝采となり、「アンコール!」の合唱が巻き起こった。
「ボールの透き通るような歌声が体に染み渡り、魂を揺さぶるようだった」と、瀧島は著書の『獄中で聴いたイエスタデイ』に記している。結局、ポールは獄中でのアカペラ・ライブで4曲を歌ったという。
ポールが再び日本で「イエスタデイ」を歌ったのは、それから10年後のことだ。
事件後は入国拒否となっていたポールだったが、文化的な貢献とその認知度から特別に入国許可が下りて、東京ドームでのコンサートが実現した。
一方で懲役15年の実刑判決を言い渡された瀧島は、ポールに歌ってもらった「イエスタデイ」で人生観が変わったという。再びポールの歌を聴きに行くことを胸に抱いて、宮城刑務所で罪を償って更生した。
瀧島を含め、ポールの歌はその場にいた他の囚人たちにも何かしら、生きる力を与えたに違いない。
*警視庁の留置所でポールと出会い、彼の歌を聴いたことがきっかけで更生した殺人犯・瀧島祐介の手記はこちらです。
瀧島祐介『獄中で聴いたイエスタデイ』
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