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名作のシーンを見事に表現して見せたケイト・ブッシュの「嵐が丘」

2024.07.29

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「嵐が丘」は、19世紀に英国の女流作家エミリー・ブロンテによって書かれた長編小説で、今もなお世界中で読まれている名作だ。幾度となく映画化され、またテレビ・シリーズとしても各国で放映されている。

荒涼としたヨークシャーの自然に佇む屋敷、嵐が丘。その家の主人に拾われた少年ヒースクリフは、娘のキャシーと共に大事に育てられた。

ところが主人が亡くなり、キャシーの兄が主人の座を継ぐと、ヒースクリフに対する虐待が始まる。それに耐えながらもキャシーと愛を育むヒースクリフだったが、キャシーがスラシュクロス(鶫の辻)に住むリントン家に嫁ぐことが決まると、絶望のあまり嵐が丘を去ってしまう。

そして数年後、莫大な富を得たヒースクリフは復讐のため嵐が丘に戻ってきた、というのが大まかなストーリー。

小説は、スラシュクロスの屋敷を借りることになった一人の男が、挨拶をしようと嵐が丘を訪ねるところから始まる。しかし吹雪で帰られなくなって、嵐が丘の屋敷に一夜だけ泊めてもらうこととなる。

そこで男が体験したのは、キャシーの亡霊にうなされるというものだった。はたして夢なのか、それとも現実だったのか、窓の外から伸びた冷たい手が男の手を握り、「入れてよぅ、ねぇ私を入れてよぅ!」と物悲しい声ですすり泣くというものだ。

そのシーンを鮮やかに再現して見せているのが、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」だ。

ヒースクリフ
私よ キャシーが帰ってきたのよ
とても寒いわ
窓を開けて、私を中に入れてちょうだい


ケイト・ブッシュは、子供の頃にテレビ・シリーズで見た「嵐が丘」からインスパイアされてこの歌を作ったという。窓の外から「中に入れて」と乞うキャシーの亡霊の姿が、強烈な印象を彼女の頭の中に残したのだそうだ。

ケイト・ブッシュは11歳の時から曲を書いていたといい、16歳でピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアに見出され、EMIと契約を結ぶ。

また、学校というシステムの中で学べるものを見出せなくなったケイトは、16歳で学校をやめ、リンゼイ・ケンプ・カンパニーのショウにインスパイアされて弟子入りし、ダンスやパントマイムなどを通して自由な表現を身につけた。

その間、EMIは性急にレコードを作ろうとはせず、時間をかけて彼女を育てた。そして満を持してケイトが19歳になる1977年の7月に、ようやくアンドリュー・パウエルのプロデュースのもと、本格的なレコーディングに入った。

そうして出来上がったのが、同年11月にリリースされたデビュー・アルバム『天使と小悪魔』だ。アルバムにも収録されている「嵐が丘」で、ケイトは鮮烈なデビューを飾り、1978年にはイギリス国内のチャートで1位を記録した。

冷たさの奥に温もりを抱いたような彼女の独特な声と表現力の豊かさは、当時19歳という若さを超越して、世界中で愛読される「嵐が丘」のイメージを見事に歌で表現して見せた。

コケティッシュな美貌も併せ持つ彼女の姿が、まるで物語のキャシーに重なるようで読者を裏切らない。また戯曲的な表現が映画や小説の世界への橋渡しにも一役買っていると言えるだろう。

小説とともに、時代を超えて長く愛される1曲なのだ。

*このコラムは2018年12月に公開されました。



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