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GSの「トンネル天国」とボ・ガンボスの「トンネルぬけて」をつないだ村八分

2015.01.30

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ボ・ガンボスを結成することになる前のどんとは、京都が生んだ伝説的なロックバンド、村八分に歌い方も詩も全部が染まったという時期があったという。
村八分との出会いについて、こんな文章を残している。(注1)

おれは京都でバンドを始めたばかりで、来る日も来る日もボロボロの練習場でガンガン演奏してたのだが、ある日真っ黒い服を着た髪のボサボサ不気味な兄ちゃんが、フラフラと現れ、おれたちの演奏に合わせてマラカスをシャカシャカ振り始めた。
何も言わずにヨロヨロして兄ちゃんは、おれたちのライブにもやってきてずっとマラカスを振って、終わると「ありがとう。楽しかったワ」と言って去っていった。
「誰や?あの人は」と聞くと先輩の男が「あれは村八分というスゴイバンドのボーカルやったチャー坊という強力な奴だ。」と教えてくれた。


それからしばらく経ってローザ・ルクセンブルグを結成したどんとは、1985年にヨーロッパを3ヶ月間回ったときにドラッグを体験、サイケデリック・カルチャーに触れて帰国する。
その影響によって1973年に村八分が出した2枚組のライブ盤に入っていた音楽が、初めてわかったそうだ。

ローザ・ルクセンブルグがNHKのコンテスト『YOUNG MUSIC FESTIVAL』に出場して、審査員の矢野顕子と細野晴臣に絶賛されたことがきっかけでミディレコードからデビューしたのは1986年だ。

ローザ・ルクセンブルグ

その年に仙台で開催されたイベント『ロックンロール・サーキット』に出演したとき、シーナ&ロケッツのゲストで来ていたのが元・村八分のメンバー、ギタリストの山口冨士夫だった。

すぐに会いに行って、おれは自分がいかに村八分に狂っているかを話した。
京都から来たということで話もはずんで、すぐにおれたちのライブにも冨士夫がゲストで出るようになった。
そして冨士夫はティアドロップスを作り、おれはボ・ガンボスを作り、刺激し合いながら何年かの最高に素敵な時代を作り上げた。


山口冨士夫に会ったどんとは、そのことも引き金となってローザ・ルクセンブルグの脱退を決意し、それがボ・ガンボス誕生へとつながっていく。

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ボ・ガンボスの1stアルバムで発表された「トンネルぬけて」は、バンド解散後も多くのフォロワーに歌い継がれるどんとの代表曲だ。

「トンネルぬけて」作詞作曲:ボ・ガンボス

風が騒ぐ夜は 家へ帰りたくないよ
君がねごと言ってる夜は
風が騒ぐ夜は 家へ帰りたくないよ
君をたたきおこしに行くよ

目を覚ませよヘイヘイヘイ
おれたちゃ車とばして 海のみえる方へ    
ヘヘイヘイ 
窓開けて風にまかれて 君の家の方へ
トンネルぬけて トンネルぬけて


恋愛詞などのセオリーには当てはまらない物語構造、束縛がなく自由な世界。
不意に湧き上がったままの衝動が、どこか尻切れトンボ気味に宙に浮いて、それが現実なのか妄想なのかも定かではない。

ただ”トンネルぬけて トンネルぬけて”と繰り返される言葉が、不思議なリアリティを放っている。

同じように”トンネルぬけて トンネルぬけて トンネルぬけて ”という言葉を3回くり返す歌が、ボ・ガンボスからさかのぼること20年前、ほんの少しだけ注目されたことがある。

1967年11月、加熱するGSブームの真っ只中に登場したダイナマイツのデビュー曲、「トンネル天国」だ。

「トンネル天国」作詞:橋本淳作曲:鈴木邦彦

トンネルぬけて トンネルぬけて トンネルぬけて
オンボロ列車で 田舎の町へ くりだそう
イエイ イエイ イエイ!

トンネルぬけて トンネルぬけて トンネルぬけて
お花ばたけの かわいいあの娘に 逢いたいナ
イエイ イエイ イエイ!

若いぼくらの でっかいハートには
夢(ドリーム)イエス 夢(ドリーム)イエス 
夢がいっぱいなのさ



”オンボロ列車で田舎の町へ くりだそう”とか、”かわいいあの娘に 逢いたいナ”とか、フラワームーブメント風の願望とともに、”夢がいっぱいなのさ”という、いかにもありきたりの青春歌謡調の歌詞が出てくる。

そこには当時から夢やリアリティなど、かけらさえも感じられなかった。

歌っていたのは18歳の山口冨士夫、本格的なR&Bを売り物にしていたザ・ダイナマイツのギタリストで、「トンネル天国」ではリードボーカルも務めていた。

明らかに実力のあるロックバンドなのに、から騒ぎにしか思えない悲しげな叫び声とサイケ調のサウンドは、売れ線狙いの芸能プロダクションに騙されたロック少年たちの断末魔のようであった。

ダイナマイツを1969年の大晦日で解散した後、山口冨士夫はチャー坊(柴田和志)と出会ったことから、京都に移住して日本語で本物のロックを目指すバンド、村八分を結成することになる。
70年代初めの京都でロックバンドのパイオニアとして、極限まで音楽のオリジナリティを追求した村八分は、カウンター・カルチャーシーンに大きな影響を与えた。

村八分

そんな村八分に憧れを抱いていた岐阜県大垣市の少年、どんとは1981年に京都大学に入学したのだったが、白けた現実に迎えられて拍子抜けしてしまう。

俺が期待しとったんは今から思えば、それこそ京大西部講堂!!みたいな。村八分!!みたいな世界やねん。シャブ中、ジャンキーうじゃうじゃいます、穴蔵でシンナー吸ってます、みたいのを期待して行っとったん(笑)。そしたらもう何もないやん。もういやんなっちゃってさ。


そこからルーツ・ミュージックを真面目に掘り下げて、どんとはロバート・ジョンソンのブルースを突き詰める一方で、ニューウェーブのクールさを打ち出すローザ・ルクセンブルグに参加するのだった。

やがて1987年にローザ・ルクセンブルグに別れを告げるのだが、どんとは「冨士夫さんとかと知り合わんかったらずーっと(ローザが)続いとったかも知れん」とも言っている。

冨士夫さん見たらやね、”あ~そうか、やっぱりギター弾くんやったらあそこまで弾かなあかんわけやね”と思って、気持ちが引き締まった。
やっぱり、ちゃんといいギター弾くと心が洗われるの。
冨士夫さんを見ていい音って何かを、初めてギターで知ったわ。


気持ちを新たにルーツ・ミュージックとグルーヴを追求するボ・ガンボスを結成すると、そこからライブ・バンドとして疾風怒濤の日々が始まったのである。


「トンネルぬけて」 BO GUMBOS

(注1)情報雑誌「おきなわJOHO」連載「どんとのどんと焼」からの引用

『どんとの魂』

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(ミュージックマガジン )


ボ・ガンボス『BO GUMBOS 1989』

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TAP the POP 特集 ボ・ガンボス



おまけ
「I’m A Man」 BO GUMBOS with 山口冨士夫

ボ・ガンボスとは共演する機会が多かった山口冨士夫。代々木公園でのフリーライブではボ・ディドリー「I’m A Man」をセッション。

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