エディ藩はザ・ゴールデン・カップスが解散した1972年以後もギタリスト、ヴォーカリストとして音楽活動を続けて現在に至っている。
1981年にソロで発表した「横浜ホンキートンク・ブルース」は派手なヒットにはならなかったが、さまざまなシンガーにカヴァーされてスタンダード・ソングになっている。
そんなエディ藩が1997年に発表したにもかかわらず、人前では歌うことなく”封印”していたという歌がある。
音楽評論家の越谷政義による「ジャパニーズ・ロック・インタビュー~時代を築いた20人の言葉~」(TOブックス)は、日本のロック界を牽引してきたバンドマンやミュージシャンによる証言をまとめた書だが、そのなかでエディ藩と著者の間にこんな会話がかわされていた。
――― 時代変わって、これからあの封印している「丘の上のエンジェル」を歌おうなんて気持ちは‥‥。
エディ 歌わない、「丘の上のエンジェル」は。なんかね、ぐっと涙ぐんじゃって歌えなくなっちゃうんだよね。いろんなこと思い出してさ。だから未だに封印している。
2010年に発行された同書には「丘の上のエンジェル」に関して、こんな脚注がついていた。
1997年にリリースしたシングルA面楽曲。根岸外国人墓地の慰霊碑建立・募金運動のための作品。山手ライオンズクラブが中心となって進めた際に、その資金集めの活動も兼ねてテーマ曲(というのだろうか)が作成された。 作曲はエディ藩、作詞は作家の山崎洋子。
横浜・真金町の遊郭を舞台にした小説『花園の迷宮』で第32回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家デビューした山崎氏にとって、1997年は大きな変化に見舞われた年だったという。
石原裕次郎や小林旭が映画スターとしてまばゆいばかりの輝きを放っていた昭和30年代に、日活アクション映画の脚本家として活躍した夫の山崎巌氏が3月に癌で亡くなった。
同じ頃に新聞社から話があったノンフィクションを書くために、エディ藩のライブに足を運んで取材を始めた。
ノンフィクションは 小説より好きかもしれない。いつか書きたいとも思っていた。だが虚実の混合が許される小説と違って、あくまで 事実重視、雑な性格の私には向いてない。時間も相当とられるだろう。体力を消耗しつくしていた時期だけに自信がなかった。それをあえて受けたのは、編集者から提示されたテーマが「『ゴールデン・カップス』を通して見た戦後の 横浜」だったからである。
そのノンフィクションは「天使はブルースを歌う」というタイトルで、2年後の1999年9月に毎日新聞社から出版された。
そこではサブタイトルに「横浜アウトサイド・ストーリー」とあり、テーマが明確に打ち出されていた。
どことなく、エディ藩の「横浜ホンキートンク・ブルース」を彷彿させるが、実際に読み進んでいくと、確かに最初から最後まで山崎氏の「ブルース」が作品のなかで鳴り続けている作品だった。
この場合の「ブルース」は、捨てられたもののすすり泣きであり、捨てざるを得なかったものの苦悶であり、著者が見聞きしたことについての嘆きであり、強く訴えかける祈りである。
日本を統治するマッカーサー総司令官が最初に拠点をおいた横浜は、江戸時代から外国人居留地があって海外の文化が入ってくる都市で、戦後の占領期も日本のどこよりも早くアメリカ文化が入ってきた。
当時は首都圏にたくさんの米軍基地が置かれていて、そうした地域では混血児たちが数多く生まれてきた。
彼らは「あいのこ」と呼ばれて差別の対象になっていたが、1960年代になってアメリカ文化が生活に浸透してくるにしたが、、容姿のいい少年や少女たちは「ハーフ」と呼び変えられてモデルやタレントとして活躍し始める。
ちなみにレコード・デビューしたときのゴールデン・カップスは、全員が横浜出身でハーフであるという触れ込みであった。
山崎氏がその取材を始めてまもない頃、エディ藩のライブを観に行った時に「秘かに埋葬されている赤ちゃんたちのために慰霊碑を建てるから、チャリティソング作りに協力して欲しい」と、作詞を頼まれた。
横浜には港の見える丘公園の近くにある有名な山手外人墓地の他に、中国人が埋葬されている中華義荘(南京墓地)、イギリスとその植民地であった国の戦没者が眠る英連邦戦没者墓地、そしてあまり知られていなかった根岸外国人墓地の4つがあった。
山崎氏は自身のブログで、根岸外国人墓地についてこうに述べている。
終戦後、進駐軍と日本女性との間に生まれた混血の赤ちゃん達が、ここに800体くらいも秘かに埋葬されているということを知った。
時代が時代だから、どのような事情でそうなったのか想像することはたやすい。
観光地にもなっている山手外国人墓地には横浜開港に功績のあった、いわば歴史に名が残るような外国人が埋葬されていて、しっかり管理されている。
山手外国人墓地が手狭になったので明治35年(1902)、あらたに設けられたのがこの根岸外国人墓地なのだが、埋葬されているのが世間的には無名の人が多いせいか、横浜の人にさえあまり知られていない。
(冬桃ブログ「片翼の天使~根岸外国人墓地」2015年07月14日)
エディ藩と山崎氏が訪れた当時の根岸外国人墓地は、荒れ果てた感じが否めない状態だったという。
まもなくしてアメリカ軍兵士と日本人女性の間に生まれた赤ちゃんたちに捧げる鎮魂の歌として、「丘の上のエンジェル」という新しいブルースが誕生した。
それから10年以上の歳月が過ぎて、エディ藩はしばらく”封印”していたこの歌を、もういちど歌うようになった。
2004年11月発売されたエディ藩のアルバム『Another Better Day』に、新たなる録音で収録したのである。
今では、Apple Musicなどでも聴くことができるようになった。
2017年6月22日、その日に古希を迎えたエディ藩はゴールデン・カップスをゲストに呼んだバースデー・ライブで、「僕は歌い続けていく」と言ってラストに「丘の上のエンジェル」を歌い奏でたという。
〈参考文献〉山崎 洋子著「天使はブルースを歌う―横浜アウトサイド・ストーリー」
〈写真提供〉「横浜流行通信 ヨコハマNOW」