1970年に開催された世界最大級のフェス、ワイト島フェスティバル。
5日間で延べ60万人を動員したといわれるこの大舞台に、結成してからまだ4ヶ月でレコードを1枚も出していないにもかかわらず出演し、衝撃的なパフォーマンスを披露したのがエマーソン・レイク&パーマー(ELP)だ。
バンドメンバーのキース・エマーソンとグレッグ・レイクが出会ったのは1969年12月。
当時、キースはザ・ナイスで、グレッグはキング・クリムゾンのメンバーとして活動していたが、その日はアメリカ西海岸のライブハウス、フィルモア・ウェストで共演することになっていた。
そこで出会った2人は、お互いの目指す音楽を共有できると感じとって意気投合し、新たなバンドの結成に向けて動き出す。
彼らがはじめに声をかけたのは、ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスを解散したばかりのドラマー、ミッチ・ミッチェルだった。
バンドの誘いを受けて乗り気になったミッチは、ジミも誘ってみようと提案する。
キースにとって、ジミ・ヘンドリックスは多大な影響を受けたミュージシャンの1人だった。
例えば、ジミがよくやるフィードバックと呼ばれる奏法を聴いてそれをオルガンで再現したり、ジミの度肝を抜くようなパフォーマンスを見て、オルガンでも何かできないかと試行錯誤していた。
ギタリストとバンドを組むことを敬遠していたキースだったが、ジミ・ヘンドリックスであれば面白いことができるかもしれないと思ったという。
結局、ミッチはジミとのバンド活動を再開し、キースとグレッグはカール・パーマーを加えてELPをスタートさせることとなり、彼らが共にバンドを組むことはなかった。
ワイト島フェスティバルにELPが登場したのは4日目、ジミ・ヘンドリックスが登場する前日のことだった。
彼らはクラシックの中でも有名なムソルグスキーの「展覧会の絵」や、「テイク・ファイヴ」などで知られるジャズ・ピアニスト、デイヴ・ブルーベックの代表曲の1つ、「トルコ風ブルー・ロンド」で激しい即興演奏を展開し、ロックとジャズ、クラシックを融合させた独自の世界を表現してみせた。
ジミがギターでやっていることを鍵盤楽器でやりたかったというキースは、鍵盤にナイフを刺して音を鳴りっぱなしにすると、100kgもあるハモンドオルガンL-100の上にまたがって荒馬を乗りこなすように前後に揺さぶり、音を激しく歪ませた。
その一部始終を目撃した人たちが、オルガンに対する固定概念を打ち壊されたのは言うまでもない。
「僕がやりたかったのは、オルガンのイメージを変えるということさ。つまりはオルガンのサウンドをもっと魅惑的なものにしたかったんだ。なにしろオルガンの前に座ってサマになる奴なんていなかったからね」
フェスで大観衆の前に華々しく登場したELPはアメリカの大手、アトランティック・レコードと契約を果たし、約3ヶ月後の11月20日にファーストアルバム『エマーソン・レイク&パーマー』をリリース、前評判の高さもあってイギリスやアメリカ、ヨーロッパでヒットし、その後も快進撃を続けていく。
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