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キース・エマーソン少年時代〜音楽好きだった父親の影響、最高のクリスマスプレゼント

2019.11.24

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1944年11月2日、彼はイングランドの北部ヨークシャー州のトッドモーデンで“一人っ子”として生まれた。
ペナイン高地のふもとにあるその小さな町は、かつては繊維工業で栄えたが、第2次世界大戦以降には衰退し、現在はマンチェスターやリースなど近隣の大都市のベッドタウンとなっている。
父親は戦時中だった当時、軍の電信エンジニアとして働いていた。
彼が生まれた翌年には終戦となり、戦後の食糧難の中、母親は貧しい家計をなんとかやりくりしてしのいでいたという。
終戦後、父親が除隊して電話技師となり、一家はサセックス州のワージングという町に引っ越しをする。
母親は家計を助けるために学校給食の栄養管理士として働くようになる。

「たぶん2歳頃だったと思う。当時の僕のお気に入りは“The Runaway Train”という曲で、これがラジオからかかると僕は静かに耳を傾けていたという。僕が音楽に興味をしめした最初の記憶なんだ。」



父親は音楽好きで、時々自宅に友人を招いて“音楽の夕べ”というホームパティーを催していた。

「父がアコーディオンを弾いたり、父の友達がドラムを叩いたりする姿を見ながら、楽器を鳴らすことに憧れを抱いていたんだ。ある日、父がロンドンの祖母の家にあったピアノを弾いているのを見て嬉しくなったのを憶えている。確か曲はホーギー・カーマイケルの“Stardust”だったかな。」




彼が7歳になった頃、彼の両親は市営住宅に住む居住権を手に入れる。
それまで住んでいた小さなアパートを引き払い、一家はようやくゆとりのある間取りの団地で暮らせることになる。

「父はその引っ越しを機にピアノを購入したんだ。まだ僕が弾くには大きすぎで、ペダルと鍵盤の両方には同時に手足が届かなかった。それでも僕は見よう見まねで鍵盤に触るようになり、時には父と連弾ごっこのようなことをして遊んでいたんだ。」


彼が8歳半になった頃、父親は息子に本格的にピアノのレッスンを受けることを勧める。
マーシャル夫人という高齢のピアノ講師を毎週土曜日に家に来て、彼にクラシック音楽の基礎科から教えることとなる。

「父と母の給料を合わせても、我が家の収入は少なく、三人がぎりぎり食べてゆけるぐらいだった。しかし何故そこまでして僕にピアノをやらせたのか?当時はわからなかった。」


家計は相変わらず大変だったが、両親は一人息子の才能を伸ばすことに精一杯の努力をしてくれたという。
そして…彼はその年のクリスマスに、人生を大きく変える素敵なプレゼントをもらうこととなる。
12月のある日、彼は両親からこんな辛い言葉を聞かされる。

「お父さんとお母さんは今お金がなく、今年はお前にプレゼントを買ってあげられなんだ。」


彼は子供心に、プレゼントがもらえないことより、そんなことを自分に言わなければならない両親のことを思うと悲しくて仕方がなかったという。

「それでもクリスマスの朝に起きてみると、靴下の中にリンゴやミカンやクルミなどが入っていて嬉しかった。その日は家族みんなでロンドンに住んでいるおばあちゃんの家を訪ねてホームパティーをしたんだ。親戚や近所の人が集まっている中で、父がピアノを弾き始めたんだ。父はみんなを楽しませるためにたくさんのスタンダードを弾いてくれたんだ。」


人見知りだった彼は、ピアノの下に潜り込んで父の顔や手足をじっと見ていた。
ピアノを弾きこなす父親を尊敬の眼差しで見つめる息子。
そんな純粋な息子に対して、父親がこんな言葉をかけたという。

「お前は必ず俺よりももっと上手くなるから、自分を信じて練習しなさい。」


その言葉は彼にとって最高のクリスマスプレゼントだった。

「その日の父の一言が、僕の音楽性の形成期に息を吹き込んでくれたんだ。」


その後、彼は15歳の時に地元で開催されたワージング・ミュージック・フェスティバルに出場し、バッハの部で2位を獲得。
本人によると、これが人生初のライブステージだったという。

「初めて自分で買ったレコードはアンドレ・プレヴィンがピアノを弾いている“My Fair Lady”というレコードだった。そのライナーノーツにアンドレがパド・パウウェルやハンプトン・ホーズを聴いていると書いてあったから、次に彼らのアルバムを買ったんだ。そうやって当時の僕はジャズにのめり込んでいったんだ。」



高校に通うようになる頃には、地元ワージングで編成されたスウィングオーケストラでピアノを弾き始め、同オーケストラのベーシスト/ドラマーと共にジャズトリオを結成する。
高校生だったにも関わらずジャズクラブなどで演奏をするようになり、1963年末(当時19歳)にはキース・エマーソン・トリオとしてピアノトリオ演奏で初レコーディングを経験し、若くしてその音楽キャリアをスタートさせる…




<引用元・参考文献『キース・エマーソン自伝』キース・エマーソン(著)川本聡胤(翻訳)/ 三修社>
<引用元・参考文献『キースエマーソン インタビューズ』キーボードマガジン編集部 (編集)/リットーミュージック>

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