1993年から毎年ロンドンで開催されているロックフェス、メルトダウン。毎回ひとりのアーティストが主催者に任命されるこのフェスで、2004年に任命されたモリッシーが出演オファーを送ったのは、1977年に解散したバンド、ニューヨーク・ドールズだった。
1959年生まれのモリッシーは、マンチェスターへと移民してきたアイルランド人を親に持つ。図書館で働いていた母の影響もあってか幼少時代から文学への関心が高く、中でもアイルランドを代表する作家、オスカー・ワイルドがお気に入りだった。
ポップスを中心に音楽を聴くのも好きで、はじめて買ったレコードはマリアンヌ・フェイスフルの「カム・アンド・ステイ・ウィズ・ミー」だったという。
1970年代に入ると、ロックシーンでは派手な衣装や化粧を施したきらびやかなグラム・ロックが台頭し、10代前半という多感な年頃だったモリッシーは、その影響をもろに受ける。
T・レックスやデヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージックといったイギリスのアーティストはもちろん、スパークスといったアメリカのグラム・ロックにまで、そのアンテナは伸びていた。
ニューヨーク・ドールズもそうして見つけたバンドのひとつだった。
ドールズがツアーでイギリスへとやってきたのは、1972年11月のことだ。9日にはモリッシーの暮らすマンチェスターで、ロキシー・ミュージックの前座としてライヴをすることが決まっていた。
当時12歳だったモリッシーは客席の最前列を位置取り、ドールズの出番を今か今かと待っていた。ところが彼らはステージに現れず、会場のスタッフから告げられたのは、ドラムのビリー・マルシアが亡くなったというアナウンスだった。モリッシーは呆然とした。それは決して忘れることのできない一日だった。
ドールズは新たなドラマー、ジェリー・ノーランを加え、翌1973年に再びイギリスへとやってきた。そして人気テレビ番組『オールド・グレイ・ホイッスル・テスト』に出演する。
番組MCは彼らを「お笑いロック」と揶揄したが、モリッシーは動くドールズを初めて目にし、かつてないほどの興奮と高鳴りを覚えた。挑発的でふてぶてしい歌い方、シンプルで力強いサウンド、彼らの全てがモリッシーを魅了した。
「最高のポップ音楽を教えてくれた。あのバンドがすべての答えだったね」
その日からモリッシーのドールズに対する思い入れはより加熱し、2年後には音楽雑誌の後ろのページにある小さな広告欄を使って、イギリスでのニューヨーク・ドールズのファンクラブを立ち上げた。そのメンバーの中にはクラッシュ結成前のミック・ジョーンズの名もあったという。
しかし、ニューヨーク・ドールズは大きな成功を掴むことができず、メンバー間の軋轢も生じて1977年に解散してしまうのだった。
それから長い年月が過ぎた2004年、モリッシーは彼らに数十年ぶりに再結成してくれないかと呼びかけたのである。
5人のメンバーのうち、ギターのジョニー・サンダースとドラムのジェリー・ノーランはすでに亡くなっていたが、残りの3人はモリッシーのオファーに応えてくれた。そして彼らは20年以上続いていた確執を取り払い、渾身のパフォーマンスを披露したのである。
コンサートのあと、モリッシーは一緒にアルバムを作らないかと誘われたが断ったという。
「デヴィッド・ヨハンセンがドールズの新しいアルバムで歌ってくれないかと誘ってくれたけど、断ることしかできなかった。僕はニューヨーク出身ではないし、ドールでもないからね」
モリッシーにとってニューヨーク・ドールズは永遠のアイドルであり、近づくことはできても一線を超えることは許されない、神聖な領域なのだろう。
参考資料:
映画『ニューヨーク・ドール』(2005年製作)
ニューヨーク・ドールズ
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