それは1962年の4月7日のことだった。
リズム・アンド・ブルースが好きということから意気投合した2人の青年、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは、ロンドンにあるイーリング・ジャズ・クラブへと訪れた。
そこにはアレクシス・コーナーのバンドであるブルース・インコーポレイテッドが毎週出演していて、ほんとうのブルース好きが集まる場になっていた。
ミックとキースがブルース・インコーポレイテッドのステージで注目したのは、アレクシスの横で巧みなスライド・ギターを弾いた男、ローリング・ストーンズ結成の中心となるブライアン・ジョーンズだった。
1942年2月28日に生まれたブライアンは、幼い頃に母親からピアノを教わったことがきっかけで音楽に興味を持ち始めたという。
「最初はただ一生懸命音符を追っていたけど、そのうち音楽に対する自分の気持ちに気づいたんだ。たぶん凄く早い時期からわかっていたと思う。自分は音楽にのめり込むようになるだろうってね」(『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ』より引用)
学生時代には合唱団でクラリネットを吹き、チャーリー・パーカーを聴いたことがきっかけで15歳の頃にはサックスを始めるなど、様々な楽器を経験してきたブライアンだったが、やがてアコースティック・ギターへと行き着いた。
そんなブライアンが、ブルースへと傾倒し始めたのは1960年のことだ。
ブルース・ハープの名手だったサニー・ボーイ・ウィリアムソンをライブで見たのをきっかけに、サニー・ボーイやマディ・ウォーターズといった、シカゴ・ブルースのレコードを集め始めてブルースを吸収していったのだ。
ところでミックとキースの2人がブライアンと出会ったとき、彼はエルモ・ルイスという芸名で活動していたという。その理由についてキースは、自伝でこのように見解を記している。
あのころは、エルモア・ジェイムズになりたかったんだな。イギリスじゃ、スライド・ギターは目新しかった。それをあの夜、ブライアンが弾いたんだ。曲は「ダスト・マイ・ブルーム」。しびれたな。すごい演奏だった。
1951年に「ダスト・マイ・ブルーム」をヒットさせたエルモア・ジェイムスは、ボトルネックを使ったスライド・ギターで猛々しいサウンドを放つブルースマンだ。
ブライアンにエルモア・ジェイムスの音楽を教えたのはアレクシス・コーナーだった。2人が知り合ったのは1961年の秋頃だから、わずか半年ほどでキースを驚かせるほどの技術を身につけたことになる。エルモア・ジェイムスへの憧れと情熱は相当のものだったのだろう。
ブライアンが自身のバンドを作るため、メンバーを探していることを知ったミックとキースは、彼のリハーサル場所に足を運ぶようになる。
ローリング・ストーンズが結成されたのは、それから数カ月後のことだった。
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