ストーンズの記録係でもあったビル・ワイマン
ローリング・ストーンズがどこから来て、僕らがどうして一緒になり、歴史上最も変化の激しい時代をどうやって潜り抜けてきたかを、僕はもっと詳細に語りたいと思った。
僕にとっては常に事実だけが重要だった。これまでにもストーンズについては数多くが書かれたが、ほとんどは真実の周辺をうろうろとするか、半分嘘を飾り立てるか、さもなくば全くの嘘だらけだったからだ。
ローリング・ストーンズについて書かれた出版物は数多い。しかし、オリジナル・メンバーであるビル・ワイマンが2002年に出版した『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ(Rolling with The Stones)』(日本語翻訳版は2003年に限定5000部)は、そのヴォリュームだけでなく、信憑性の高さや丁寧かつ緻密な構成といった面も含めて、これ以上のクオリティのものはないだろう。
寡黙だったワイマンは「ストーンズの記録係」としても知られ、デビュー当時から日記を書き溜めていた。本書には彼自身の言葉や文章のほか、初公開となった写真や手紙がふんだんに使われている。さらにポスター、フライヤー、雑誌の表紙といった資料の充実、ツアーや番組出演やレコードデータの記録は圧巻。収支まで記されている。
序文ではワイマンのこんな言葉が綴られる。
僕はストーンズの一員だったことをとても誇りに思っている。だから、僕自身の思い出だけでなく、自分が長年かかって集めてきたものを皆さんと共有したいと思った。
僕がものを集め始めたきっかけは、小さかった息子に父親が何年間かポップグループの一員だったことを証明したかったからだが、その「何年間か」はご存じの通り、31年にも及んだ。
500ページを超えるこの書物を改めてめくっていると、ストーンズというバンドがいかに時代や世代と共にあったかを再認識できる。60年代に70%以上ものページが費やされていることからも分かるように、ストーンズが反体制とロックの象徴そのものだったことが体感できる。吸い込まれるような圧倒的な世界観なのだ。
ロンドンR&Bの顔役だった時代、スウィンギング・ロンドンの華やかさ、1967年の逮捕劇と裁判、1969年のブライアンの死とオルタモントの悲劇、パリへの逃亡、巨大化する70年代のツアー、メンバーの女たち、キースのトラブル、テイラーとウッド、スチュの死……どこをめくっても「ストーンズの真実」と遭遇できる。
レコーディングをしてツアーをするという自分の生活を変える時が来た。ワイマンは他にやりたいこと、やる必要があることを強く確信して、人生の半分以上を過ごしたストーンズを1993年1月に脱退した。本書の最後では、妻や子供に囲まれる姿がある。そしてこう締めくくられている。「ストーンズはいまだにローリングしている」──出版から15年が経とうとしているのに、この一行が書き換えられる気配はない。
『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ(Rolling with The Stones)』の構成
◯バンドの誕生 1936年10月〜1962年12月
◯ザ・ローリング・ストーンズ始動 1963年1月〜9月
◯ポップの旅人たち 1963年9月〜1964年6月
◯アメリカが呼んでいる 1964年6月
◯世界進出 1964年6月〜1965年3月
◯トラヴェリング・バンド 1965年3月〜1965年12月
◯1966年のあれこれ 1966年1月〜12月
◯埃だらけ傷だらけ 1967年1月〜7月
◯ああ、何という騒ぎだ 1967年8月〜1968年12月
◯空が泣いている 1969年1月〜12月
◯グッバイ、そしてボンジュール 1969年12月〜1972年11月
◯ツアーという仕事 1972年11月〜1979年6月
◯スティル・ローリング 1979年6月〜2002年、永遠に
表紙はストーンズを形成するグッズが集められて表現されている。
*このコラムは2016年12月に公開されたものを更新しました。
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