それはロン・ウッドが27歳を迎えた1974年の出来事だった。
「あの時、ミックと俺は取り決めを交わしたんだ。“I Can Feel the Fire”は俺のものにしていい代わりに、“It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)”はストーンズのものにするってね。当時、俺にはミックのように交渉する力などなっかたんだけど…今思うと、それでよかったと本当に思うよ」
1974年5月、数ヶ月間スイス滞在を終えたキース・リチャーズは、ロンドン南西部にあった特別区リッチモンドにあったロン・ウッドの家に居すわっていた。
二人は昼夜を問わず酒を呑み、ギターを鳴らし、一緒にザ・フーのコンサートに出かけるなどしながら、今までにないくらいの“急接近”をしていたという。
当時、ロンは1stソロアルバムの製作準備を進めていた。同月の末(5/28)、ロンの自宅スタジオにはキースに加えてミック・ジャガーやミック・テイラー、それにエリック・クラプトンやジョージ・ハリスンまでが姿をあらわし、一大セッションを行ったという。
ロンはこのセッションを一つのターニングポイントとして、本格的なレコーディング作業をスタートさせることとなった。そして一方で以前から自宅が近所ということもあって、ロンとミックはよく一緒に曲作りをしていたという。
「俺が“I Can Feel the Fire”を書いているとき、ミックが作曲の手助けをしてくれたんだ。同時期に俺はミックが書こうとしていた“It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)”の創作の手助けをしたんだ。レコーディングではデヴィッド・ボウイと俺がバックコーラスをしたよ。あの“アイライクイット!アイライクイット!”と歌っている声は俺達なんだ。ストーンズは出来上がった曲を1974年の7月にリリースし、USチャートの首位に立った。彼らは数ヶ月後にリリースが決まっていたアルバムにもそのタイトルを用いたんだ。あんな感じでセッションの中から生まれた曲は幾つかあるけど、誰がどの部分を書いたとか真相なんて誰にもわからないんだ。当時、俺達はそこいら中でアイディアをやりとりしていたからね」
ストーンズへの加入については、同年の早い時期にミックから直接誘いを受けていたとロンは語る。
「ロバート・ステックウッド(RSOレーベルの社長)のホームパーティーに向かう途中、一緒に乗っていた車の中でミックが俺に“ストーンズに加わらないか?”と言ってきたんだ。でも、その時は“俺はフェイセズのメンバーだからね”って答えて断ったんだ」
水面下でこんなやり取りをしながら、ロンはその年の春から夏にかけて自宅スタジオでレコーディング作業にいそしんだ。
フェイセズのロッド・スチュワートとイアン・マクレガンに加えて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、ミック・ジャガー、ミック・テイラーも参加して完成したアルバムには『I’ve Got My Own Album to Do(俺と仲間)』というタイトルがつけられた。
このタイトルにすることをアドバイスしたのは、他でもないミックだった。ミックと共作した「I Can Feel the Fire」から軽快にスタートするこの名盤は、長きに渡ってロックファンに愛され続けている。
『I’ve Got My Own Album to Do(俺と仲間)』
<引用元・参考文献『俺と仲間〜ロン・ウッド自伝〜』ロニー・ウッド(著)、五十嵐正(翻訳)シンコーミュージック>

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