「ロニーとはストーンズに入る前から一緒にプレイしているんだ。ヤツと一緒にやるのは楽しくてね。ある時から“ロニーはストーンズに入るべきだ”と思うようになった。ヤツも同じように感じていたと思うよ。ヤツがまだ始めたばかりの頃、ストーンズを観て“こんな風になってやる”って思ったらしいからな。」(キース・リチャーズ)
「ロニーに会ったり、彼のことを知ると、あぁこれがロニーなんだってみんな思うだろうね。彼はおどけたりするけど、分別もあるしね。真面目な顔して馬鹿みたいなことをやったり!それが面白いんだよ!」(チャーリー・ワッツ)
盟友ロッド・スチュワートと活動を共にしたジェフ・ベック・グループ、そしてフェイセズ時代を経てザ・ローリング・ストーンズに加入。50年以上に渡って第一線でギターをプレイし続けてきた男。
その愛すべきキャラクターとロック・フィーリング溢れる音楽センスによって、ファンはもとより多くのミュージシャンからも愛されつづけてきたギタリスト、ロン・ウッドがストーンズに加入した“ターニングポイント”とも言える時期のエピソードをご紹介します。
「俺のバンドからバンドへの移動は、良い時に良い場所にいるというタイミングによって決定されてきたんだよ。運命や幸運がそれらを必要とする時にやってきて、俺のテーブルの真ん中に乗せられたんだ。抵抗できないほど魅力的な皿と取引きしてくれるかのようだったよ」(ロン・ウッド)
それは1974年の出来事だった。
当時フェイセズのギタリストとして活躍していた彼は、初のソロアルバム『I’ve Got My Own Album to Do(俺と仲間)』を製作する。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、キース・ムーン、ザ・バンド、アリス・クーパー、フリー、スラッシュ、ダフ・マッケイガン、エディ・ヴェダーなど新旧幅広い交友で知られるロニーだが、この初のソロアルバムでもロッド・スチュワート、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズらフェイセズのメンバーのほか、ジョージ・ハリスン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、そしてミック・テイラーなど、豪華なゲストたちと共演している。
『I’ve Got My Own Album to Do(俺と仲間)』
ここでの共演をきっかけに、彼は同時期にストーンズが製作していた『It’s Only Rock’n Roll』のレコーディングに顔を出し、タイトルソング「It’s Only Rock’n Roll」に参加する。
本作がリリースされた9月の翌月、アルバム『It’s Only Rock ‘n Roll』をリリース。従来はニューアルバムがリリースされるたびにツアーを行っていたストーンズだが、この時はツアーに出ず、再びスタジオに戻ってそのまま次のアルバムのレコーディングに取り掛かることになっていた。
しかし、その年の12月にストーンズのギタリストだったミック・テイラーがバンドを脱退する。バンドはいったんはクリスマス休暇をとりつつも、翌月(1975年1月)早々に再び合流し、次のアルバムのレコーディングと並行して新しいギタリストのオーディションを行う。
ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ピーター・フランプトンなど、一流ギタリストがミック・テイラーの後任候補としてオーディションに臨んだが…なかなか決まらず、ストーンズはそのまま4人のメンバーで次回作(アルバム)の製作を続けることとなる。
予定通りニューアルバムのレコーディングに取り掛かったストーンズだが、後任ギタリストのオーディションを行いながらのスタジオ作業となったため、スケジュールは大幅に遅れた。
結局、1975年の新作アルバムリリースは見送ることになり、代わりにベストアルバム『Made in the Shade』をリリースすることで急場をしのいだ。
同時に始まった北米ツアーは、本来はニューアルバムを引っさげて行うはずであったが、結果としてこのベストアルバムのプロモーションのような形になった。
だが、この北米ツアーをやるにあたってミック・テイラーの後任はまだ決まっていなかったのだ。そこでストーンズは、ロニーにサポートメンバーとしての参加を依頼し、フェイセズのスケジュールと被らないことを両者で確認しあった上で参加を決定。
ルイジアナ州バトンルージュからスタートした“Tour of the Americas ’75”の初日は、奇しくもロニーの28歳の誕生日と重なり、まさに“運命的なステージ”となった。
「6月1日が誕生日なんだけど、1975年の誕生日は忘れられないね。大勢の観客の前であんな興奮を味わうのは初めてだったし最高の気分だった。まさに“俺のための日”という感じだったよ。」(ロン・ウッド)
当時のツアーポスターには“featuring Billy Preston & Ron Wood”とあり、彼がまだメンバーではなかったことが分かる。
ストーンズと北米ツアーに回っている最中の7月、2枚目のソロアルバム『Now Look』をリリース。また、このアルバムにもキース・リチャーズとミック・テイラーが参加している。
そして8月にストーンズとのツアーを終えると、秋にはフェイセズに戻り、USツアーを行うという多望ぶりだった。しかし、この時すでにフェイセズは分裂状態となっており…結局はそのツアーが“ラストステージ”となった。
1975年12月、フェイセズ解散。正式にストーンズのメンバーとなる。
翌1976年、新生ストーンズは4月にアルバム『Black and Blue』をリリースし、ロニーはそれ以降、ストーンズでプレイし続けることとなる。
──ロン・ウッドが加入してから40年という節目を祝して、ストーンズの現メンバー達はこんな言葉を彼に贈った。
「ロニーとはよく一緒にディナーしたり、お互いの家を行き来したりする気を許せる友達だ。ギタープレイヤーとしても間違いなく貢献してくれてるよね。運命だったのさ。」(ミック・ジャガー)
「ヤツが加入する前、ストーンズは2度メンバーが替わった。ロニーが3番目だがローリング・ストーンズを誰よりも長くやっている。もちろんミックやチャーリーは別としてね。ギタープレイも常に色々研究しているし、ヤツの熱心なところが俺は大好きなんだよ。」(キース・リチャーズ)
「彼はすごく面白いし愛嬌がある男だ。彼がバンドにいてくれて良かった。あの頃のブライアンみたいなギタープレイヤーで、その場に合わせて適応できるんだ。バンドが良くなるようにね。」(チャーリー・ワッツ)

<引用元・参考文献『俺と仲間〜ロン・ウッド自伝〜』ロニー・ウッド(著)、五十嵐正(翻訳)シンコーミュージック>
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