ポール・ウェラーを最初に音楽の世界へと導いたのは、ビートルズだった。
「シー・ラヴズ・ユー」とか「抱きしめたい」の後くらいからかな、夢中になったのは。母がよくビートルズとフォー・トップスをかけてたんだ。ビートルズは僕に進むべき道を教えてくれたよ。
1964年からずっとビートル・マニアだというポールは、当時まだ6歳だったがビートルズのシングルが出るたびに買ってもらい、雑誌にビートルズが載っていればそれを切り抜いてスクラップするほどの熱心なファンだったという。
そんなポールは、中学に上がると友人に声をかけてバンドを結成する。1972年、14歳の頃だった。
何回かメンバーチェンジを繰り返した末に、ベース・ボーカルのポール、ギターのブルース・フォクストンとスティーヴ・ブルックス、ドラムのリック・バックラーというラインナップが固まり、彼らはザ・ジャムと名乗った。
バンド名の由来については、フォクストンとバックラーが主張するジャム・セッションばかりしていたからという説と、ポールとスティーヴが主張する、ポールの妹が「ブレッドやマーガレットというバンドがあるなら、ジャムというバンドはどうか」と提案したという2つの説がある。
バンドのレパートリーは主にビートルズやチャック・ベリー、リトル・リチャードといった5~60年代のロックだったが、この頃からポールは自分で曲を書いており、そのうちのいくつかはジャムのレパートリーに加わった。
はじめは中学校に通いながら空いた時間に練習して、夜にはクラブに出演するといった日々を送っていた。しかしバンドに熱が入るにつれて学校には行かなくなっていき、1974年に中学校を卒業すると、“ジャム”は進学も就職もせずに音楽の世界で生きる道を選ぶのだった。
この頃、ポールが「人生を変えた一枚」として挙げている音楽との出会いがあった。それがザ・フーが1965年に放った大ヒット曲「マイ・ジェネレーション」だ。
すぐに友人からザ・フーの1stアルバムを借りたというポールは、その影響力の大きさについて次のように語っている。
「あれは明らかにジャムのサウンドを左右したね……。あのアルバムのすべての曲からネタを盗んでいる。僕はただ、別のタイトルをつけただけなんだ」
そして、この頃からポールはモッズに傾倒していく。
モッズとは、1960年頃に労働者階級の若者たちを中心に広まった文化、生き方、あるいはその支持者たちの総称だ。三つボタンのスーツや米軍のミリタリーコートを身にまとい、スクーターにまたがって移動する彼らの根っこにあるのは、社会に対する反発だった。
モッズの間ではソウルやR&B、スカといった音楽が流行っていたが、若者たちの反骨精神を歌うことで、彼らの心を掴んだロックバンドがザ・フーだった。
初期のザ・フーの音楽に心を奪われたポール・ウェラーが、モッズに傾倒していくのは自然な成り行きだったといえる。「マイ・ジェネレーション」を聴いてから数ヶ月後には中古のスクーターを購入し、ファッションも音楽も一新した。
「僕はモッズを知ってから、ものを書く視点や角度を持つようになったんだ。だからジャムには独特のカラーがあったんじゃないかな。僕らは黒いスーツを買って、モータウンやスタックスやアトランティックのカバーをやり始めた」
ザ・フーやモッズの影響を受けたジャムは、やがて訪れるパンク・ムーヴメントの中で異彩を放ちながらも、徐々にその頭角を現していき、全国区へと羽ばたいていくのだった。
最後にザ・フーの「ソー・サッド・アバウト・アス」を紹介したい。
2ndアルバム『ア・クイック・ワン』に収録されているこの曲は、ポールもジャム時代にカバーしており、2000年にザ・フーがロイヤル・アルバート・ホールでコンサートをした際には、ゲストとして出演したポールとこの曲を演奏している。
参考文献:
『ポール・ウェラー My Ever Changing Moods』ジョン・リード著/藤井美保訳(リットーミュージック)
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