バーズのデヴィッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、そしてホリーズのグラハム・ナッシュ。
才能溢れるミュージシャン3人が集まって、クロスビー・スティルス&ナッシュ(CS&N)を結成したのは1968年夏のことだった。
翌1969年5月に1stアルバム『クロスビー・スティルス&ナッシュ』をリリースすると、トータルで300万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、3人は瞬く間にスターの座を手にする。
CS&Nは6月からツアーをスタートさせるにあたり、スティーヴンの要望もあって新たなギタリストを探し始めた。そのことについてナッシュはこう語っている。
「彼自身は、すごいリードギターを弾ける。だけど誰かと競い合えば、もっとレベルの高い演奏ができるのは明らかだった」
3人はスティーヴ・ウィンウッドやジミ・ヘンドリックスをはじめとして、様々なミュージシャンに声をかけるもなかなか見つからず、最終的に候補として挙がったのがニール・ヤングだった。
スティーヴンとニールはかつてバッファロー・スプリングフィールドで素晴らしいツイン・ギターを披露していたのだが、その一方で対立することも多く、2人は最終的に喧嘩別れをしていた。
そうした事情もあり、スティルスとナッシュはニールを誘うことに対して否定的だったが、スタッフによる説得や交渉の末、3人はニールの家を訪ねることになった。
ニールはそこで「ヘルプレス」という曲を演奏してみせたのだが、そのときのことをクロスビーはこう振り返っている。
「その曲が終わるか終わらないうちに、僕たちを君のバンドに入れてくれないか、とニールに頼み込んでいたくらいさ」
ニール・ヤングが加わって4人になったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのステージは、アコースティックとエレクトリックの2部構成になった。
前半では4人による素晴らしいハーモニーを聴かせ、後半では白熱のギタープレイが展開し、CSN&Yのライブは各メディアから賞賛の嵐を浴びる。
その一方でメンバー同士の衝突も増え、険悪なムードになることも少なくなかったのだが、それが必ずしもマイナスに働くわけではなかった。
1970年6月、CSN&Yが1週間連続でフィルモア・イーストに出演していたときのこと。ある晩にボブ・ディランが観に来たのだが、それを知った4人は舞い上がらずに、いつも通り演奏に集中しようと話し合った。
この頃のステージは前半のアコースティック・パートのあとに各自がソロで1~2曲ずつ演奏し、休憩を挟んでエレクトリック・パートという構成だったのだが、ソロで最後の出番だったスティルスは、ディランへの敬意を表したいと、1人だけ4曲も演奏したのだった。
ディランにアピールするために構成を無視したスティルスに対してナッシュが怒りを露わにし、2人は休憩中に激しい口喧嘩となった。
その場にいたスタッフの誰もが、後半があるのにこんな状態で大丈夫なのだろうかと不安を抱いたが、蓋を開けてみればナッシュ曰く、これまでで最高の演奏だったという。
「ぼくらの場合は、いつだってそんな調子だった。スティーヴンはいつだってクレイジーだし。あの男にはいまだに驚かされっぱなしだよ」
結局、CSN&Yはメンバー間の軋轢に耐え切れず、ニールが加わってから1年後の1970年夏に活動休止となってしまう(その後、彼らは何度も再結成をしている)。
翌1971年には、フィルモア・イーストでの夜を含め、同じ時期に録音されたものの中からベストテイクを集めたライブ・アルバム『4ウェイ・ストリート』がリリースされ、4人の強烈な個性が激しくぶつかり合うステージを、そして4人が一体となる瞬間を今に伝えている。
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから