1948年から1971年まで20年以上に渡って放送され、数々の伝説を残したアメリカの国民的人気バラエティ番組「エド・サリヴァン・ショー」。
この番組に黒人として初めて出演したのが、ロックンロールのオリジネイターの1人にして、ローリング・ストーンズをはじめ数えきれないほど多くのアーティストに影響を与えたリズム&ブルースの巨人、ボ・ディドリーだ。
1928年生まれのボ・ディドリーは、幼い頃から教会でヴァイオリンなどを習い、十代の頃にはオーケストラの指揮を務めるなど、その才能を遺憾なく発揮させていた。
ブルースに目覚めたのは1949年頃、ジョン・リー・フッカーのヒット曲「ブギー・チレン」を聴いたのがきっかけだった。
その後は楽器をヴァイオリンからギターに変え、路上ライブを中心にキャリアを積んでいく。
そして1955年4月、チェス・レコードから自身の名前を曲名にした「ボ・ディドリー」でレコード・デビューすると、いきなりR&Bチャートで1位の大ヒットとなる。
ボ・ディドリーにエド・サリヴァン・ショーから出演オファーが来たのはその矢先のことだった。
1955年11月20日。生放送の本番を直前に迎え、楽屋で出番を待っていたボ・ディドリーは、暇つぶしに当時ヒットしていたテネシー・アーニー・フォードの「16トン」を歌っていた。
すると、それを聴いた番組のスタッフに「ぜひ本番でその歌をやってくれないか」とリクエストされ、ボ・ディドリーはそれを快諾した。
ところが、本番でボ・ディドリーが歌ったのは「16トン」ではなく、自身のヒット曲「ボ・ディドリー」だった。
番組からのリクエストを無下にしたボ・ディドリーはエド・サリヴァンの怒りを買うこととなり、それ以来2度と番組に呼ばれることはなかった。
このときのエピソードについてボ・ディドリーはこう振り返っている。
「エド・サリヴァンによれば、俺は彼のことを裏切った最初の黒人だそうだ。俺の人気は半年も続かないだろうって言ってたよ」
エド・サリヴァンの予想に反して、ボ・ディドリーはその後も「プリティ・シング」や「セイ・マン」などのヒット曲を出し続けていくわけだが、ボ・ディドリーによれば、このときエド・サリヴァンを裏切るつもりはなかったのだという。
ステージで歌う前、スタッフの出したカンペには「ボ・ディドリー」と書かれていたそうだ。おそらく、ボ・ディドリーの演奏に移ってほしいという指示だったのだろう。
しかし、それを見たボ・ディドリーは自身のヒット曲である「ボ・ディドリー」を演奏するよう指示されたのだと解釈し、「16トン」はそのあとで演奏するのだろうと判断した。
それは自分の名前をそのままタイトルにした曲があったからこそ起きた勘違いだった。
こうして歌われることのなかった「16トン」だが、ボ・ディドリーは1960年にリリースしたアルバム『ボ・ディドリー・イズ・ア・ガンスリンガー』でこの歌を歌っている。ひょっとしたら、エド・サリヴァン・ショーで歌えなかったことが心残りだったのかもしれない。
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