1970年代後半のパンク・ブームの中から登場し、自身のバンド、ザ・クラッシュとともに、真剣に音楽で世界を変えようとした男、ジョー・ストラマー。
その生き方や音楽は今も色褪せることなく、多くの人たちを魅了し続けている。
そんなジョーが1988年のNME紙のインタビューで、自身の人生を変えた音楽として挙げているのがローリング・ストーンズが歌った「ノット・フェイド・アウェイ」だ。
「あれをはじめて聴いたときのことをいまだに憶えているぜ。
昔の真空管を使ったラジオから爆発するように飛び出してきたんだ」
それはまだ“ジョー・ストラマー“と名乗る前、ジョニー・メラーが11歳頃、年代でいうと1960年代前半のことだ。
父親は外交官で転勤が多かったため、ジョニーは10歳のときから寄宿学校に入れさせられていた。
その頃、世間ではアイドル的な人気を誇るビートルズが注目を集め、少年少女たちはビートルズをはじめとするロックに夢中になっていた。
ジョニーも例外ではなく、初めて買ったレコードはビートルズの「抱きしめたい」だったという。
そんなある日、ジョニーがいつものように寮の休憩室に足を運んだときのことだ。
休憩室にはレコード・プレイヤーと真空管のラジオがあったのだが、そのラジオから大音量で流れてきたのがローリング・ストーンズが1964年にリリースした3枚目のシングル、「ノット・フェイド・アウェイ」だった。
「部屋に入ったとたんに、『これは何か違う。ここでこれまでうるせえなあと思って聞いていたのとはまったく違うぞ』って。その瞬間少なくとも雲に裂け目ができて、少し陽が差し込んできた気がした」
「ノット・フェイド・アウェイ」はバディ・ホリーが1957年にリリースした楽曲で、ボ・ディドリーが発明したジャングル・ビートをアレンジした独特のリズムが印象的だ。
それをストーンズは、本家ボ・ディドリーのジャングル・ビートでテンポを上げてカバーしている。
(ストーンズの「Not Fade Away」)
歌詞の内容は熱烈なラブソングだが、ジョニーにとってそれはまさしくロックからの求愛だった。
この先どうなるか教えてやろう
お前は俺に愛を捧げるようになる
俺は朝から晩までお前を愛してやる
愛は愛
決して色褪せないのさ
「その瞬間から俺は音楽に夢中になったんだ。無意識のうちにこれからずっと音楽を追いかけていこうって決めたんだね」
「ノット・フェイド・アウェイ」によって音楽に、そしてロックに目覚めたジョニーが、ジョー・ストラマーと名前を変えてクラッシュを結成するのはそれから12年後の1976年のことだ。
ところでジョー・ストラマーは、自身のヒーローとしてボ・ディドリーの名を挙げており、クラッシュの楽曲にも時折ジャングル・ビートの影響が垣間見える。
バディ・ホリーとストーンズを介して出会ったボ・ディドリーのリズムは、決して色褪せることなくジョーの心を揺さぶり続けていたのである。
参考文献:
『リデンプション・ソング ジョー・ストラマーの生涯』クリス・セールウィクズ著/大田黒泰之訳(シンコーミュージック・エンタテイメント)
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