TAP the SONG
何も言わずに待ってくれた大瀧詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆
松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して…

TAP the SONG
松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して…

TAP the SONG
数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味では、「夢で逢えたら」が代表曲に挙げられる。 この歌が誕生したのは…

TAP the SONG
”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

Extra便
はっぴいえんど解散からソロとなった大滝詠一が、日本で初めてのミュージシャンズ・レーベル、ナイアガラを設立したのは1974年9月のことだった。 自らのプロデュース…

Extra便
大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのは、「エルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったから」だと思い込んでいたという。 だが、…

Extra便
『A LONG VACATION(ア・ロング・バケイション)』というアルバムは、当初は“夏のアルバム”として企画されたものだった。 きっかけとなったのはCBSソ…

TAP the CHANGE
それはパティ・スミスが、まだ10代だった頃のことだ。 「唯一カッコ良かったのは黒人音楽だったわ。スモーキー・ロビンソン、ジェームズ・ブラウン、ジョン・コルトレー…

TAP the LIVE
パティ・スミスにとって、最大のシングルヒットとなったのが「ビコーズ・ザ・ナイト」。 この曲を書いたブルース・スプリングスティーンとパティによるデュエットが実現し…

TAP the STORY
1974年、27歳のパティ・スミスは、ニューヨークの住人となって7年目を迎えていた。その翌年、パティはデビューアルバム『Horses』を発表する。 当時、パティ…

TAP the NEWS
私はモノクロのジャケットを見つめた。私はアルバムの隅々まで眺めた。私は全ての曲を盤が磨り減るまで聴いた。全てが計り知れない意味を秘めていた。それは私の人生を変え…

TAP the LIVE
人気絶頂にあったロックバンドのキャロルが、解散を発表したのは1974年12月30日のことだった。 矢沢永吉、ジョニー大倉、内海利勝らによって1972年の6月に結…

ミュージックソムリエ
1980年代後半からロンドンで吹き荒れたレア・グルーヴのムーヴメントから、アシッド・ジャズと呼ばれる新しいグルーヴを表現するミュージシャンが多く誕生した。中でも…
この記事から — Album Sweet でアーティストとアルバムをもっと楽しもう