TAP the SONG

トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」

2014.09.26

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コマーシャルソングの祖とされる三木鶏郎門下でキャリアをスタートさせた桜井順は、今でも使われ続けている「お正月を写そう」(富士フィルム)を筆頭に、「ブタブタ子ブタ」(エースコック)、「石丸電気は秋葉原 デッカイワー」(石丸電気)、「ダニアース」(アース製薬)など、半世紀を軽く超える期間に約3000本という、膨大な数の作品を送り出してきたソングライターだ。

30秒や15秒で人の心に届く音楽を作ることにかけてはまさに天才的で、CM音楽の歴史を切り拓いた桜井順にはもう一つ、野坂昭如のソングライターとしての顔がある。

小説『エロ事師たち』で1963年に作家デビューした野坂昭如は、その前後から自らを「焼跡闇市派」を名乗ってマスコミにたびたび登場、歯に衣を着せぬ過激な発言と奇矯な行動で激動の時代にふさわしいトリックスターとなった。

1967年には『火垂るの墓』と『アメリカひじき』で直木賞を受賞し、同年代の五木寛之と並び称される人気作家として活躍するのだが、もともとは桜井順と同じ三木鶏郎の門下生で、「伊東に行くならハトヤ」(伊東温泉・ハトヤ)や「ハウス・バーモントカレーの唄」(ハウス食品)などの作詞家として、コマーシャルソングを量産していた。

二人がコンビを組んで最初に発表した歌の「マリリン・モンロー・ノー・リターン」には、60年代のセックス・シンボルだったマリリン・モンローが、時代の象徴として謳われている。

JAPANESE101-2帰らざる河

映画『帰らざる河』のなかで本人が歌っていた主題歌が「River Of No Return」、その歌のバックで繰り返される男性コーラスの「ノー・リターン」が、歌のベーシックなアイデアとなった。

この世はもうじきおしまいだ
あの町この町鐘が鳴る
切ない切ないこの夜を
どうするどうする あなたなら
マリリン・モンロー・ノー・リターン
ノー・リターン ノー・リターン


売れっ子小説家だった野坂昭如が歌う「マリリン・モンロー・ノーリターン」は、1970年11月に行われたプロの作曲家コンクール、「合歓ポピュラーフェスティバル’70」で誕生した歌だった。

桜井順はその経緯について、野坂昭如風の文体を用いてこう記している。

野坂サンとの40年にわたる歌行脚の最初の曲。
1970年秋、ヤマハ合歓の郷『音楽フェスティバル』で初演。
招待された作曲家は数十人、「手持ち」の歌手帯同という条件にハタと困り、当時流行作家として大忙しの野坂サンに冗談半分出演依頼すると、ヤルヤルと大乗り気。
あわてて「野坂風」反体制売り物の歌詞をデッチ上げ、デモテープ渡したものの、練習する時間は全く取れず、現地で本番ブッツケ。
雲水姿、歌詞書き込んだ経文を手に、フルバンドバックに熱唱、当日一番の拍手もらったが、審査の結果は、パフォーマンス賞のみ。


見るからに聞くからに、いかにも変な歌だった「マリリン・モンロー・ノーリターン」だったが、会場の観客から大喝采を浴びたことで特別にパフォーマンス賞を受賞した。

イベント終了後にはコロムビア・レコードの関係者から打診があり、桜井順と野坂昭如にレコード・デビューの道が開ける。

イエスキリストに対してノーキリヒト、作詞者の能吉利人という人を食ったような名前は、桜井順のペンネームだったが、当時は誰もが野坂昭如の変名ではないかと想像していた。

<「黒の舟唄」3部作は、次週の(2)”ふたりでひとりのシンガー・ソングライターが作った「黒の舟唄」”に続きます>

2000年9月2日、青山CAYにて行われたイベント「青山246深夜族の夜」で、クレージーケンバンドをバックに「マリリン・モンロー・ノーリターン」を歌う野坂昭如、見事な歌唱です。


こちらはマリリン・モンローが歌う映画主題歌、「帰らざる河(The River of No Return)」です。


野坂昭如『野坂歌大全I~桜井順を唄う』
SOLID RECORDS

クレイジーケンバンド『CKBライヴ 青山246深夜族の夜 ~ Special Guest 野坂昭如』
P-VINE

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