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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」①~それはザ・ゴールデン・カップスのデビューから始まった~

2018.01.12

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1960年代後半に巻き起こったGSブームでは数百ともいわれるバンドが、全国各地でプロとして演奏活動をしていたといわれる。
そのなかにあって傑出した存在だったのが、横浜のザ・ゴールデン・カップスである。
ゴールデン・カップスが結成されたいきさつについて、ギタリストのエディ藩はこう語っている。

「本牧の『ゴールデン・カップ』という店でバンドやってるんだけど見に来ない?」って(後に仲間になる)デイヴ平尾に言われて、見に行って。
彼がそのとき目指してた新しいバンドを作るのに、ボクがメンバー集めてきて、作ったのがゴールデン・カップス。アルバイト気分で始めた。
若いから覚えもいいし、みんな才能もあった。米軍キャンプで引っ張りだこになりましてね。
兵隊から本国でやっている演奏のテクニックを伝授してもらって、自負するのもおかしいけど、当時としては最先端の音楽をやっていたと思うんですよ。


こうして地元の若者たちによって結成された平尾時宗とグループ・アンド・アイは、横浜の本牧にあった「ゴールデン・カップ」というクラブで1966年の12月からレギュラー出演するようになった。
ライブが始まるのは夜になってからで、一晩に4セットを毎日やって週に1回休むという仕事だ。

本牧には戦後の進駐軍の時代から米軍キャンプがあり、軍人や家族のために住宅や学校、ショッピングセンター、ガソリンスタンド、映画館などが揃っていてアメリカの小さな町のようだった。

そしてベトナム戦争が行われていた頃の本牧も米軍キャンプの町で、クラブにやって来る客は外国人がほとんどだった。
ゴールデン・カップスに憧れていた高校生だったミッキー吉野が、当時についてこう述べている。

初めてゴールデンカップスを見たのは67年のアマチュアバンド・コンテストのゲストとして出演してた彼らでした。彼らのバンド名にもなったお店の「ゴールデンカップ」というところはさすがに15~6歳には怖くて入れない場所で、米兵や伝説のナポレオン党(ファッション・車・ダンスパーティーなど最先端風俗で一世を風靡)や、それに横浜ですから在日の方もたくさんいて、中共系、北鮮系、台湾系とかが入り乱れてまるでもう「ウェスト・サイド・ストーリー」みたいな世界。そういったいろんなグループが集まってくる、怖い人たちが多い処にゴールデンカップはあったんです。


ソウル・ミュージックをレパートリーの中心にしていた彼らは、全員がジェームス・ブラウンを好きだったという。
店の客を楽しませるためにパンキッシュで踊れる楽曲、トミー・ジェームス&ザ・ションデルスの「ハンキー・パンキー」や、ヤング・ラスカルズのヒット曲などのほかに、ロバート・ジョンソンの渋いブルースも演奏していた。

彼らはR&Bやブルースを演奏させたら右に出るものがない実力派として評判になり、店の名前をそのままバンド名にして1967年に東芝レコードからデビューすることになった。

レコード会社が用意したデビュー曲は「いとしのジザベル」、黛ジュンの「恋のハレルヤ」が大ヒットして脚光を浴びた作曲家の鈴木邦彦と、作詞家のなかにし礼のコンビによる作品である。

鈴木邦彦は慶応大学の名門ビッグバンド「ライト・ミュージック・ソサエティ」に所属していた在学中から、プロのミュージシャンになってジャズ・ピアノを弾いていたが、アレンジにも才能を発揮して一本立ちした新進気鋭の作曲家だった。
そもそも音楽に目覚めたきっかけは、幼少の頃に母親に連れて行ってもらった横浜のニューグランドホテルで、バイオリンの演奏を聴いたことだったという。

 「いとしのジザベル」
 作詞:なかにし礼 作・編曲:鈴木邦彦

 貴女の面影 忘れはしない
 シャネルの香りは 今も残る

 恋 消えた恋 帰らぬ 昔の日よ
 恋 燃える恋 今でも 心はあつい
 愛していたのに 愛していたのに
 ジザヘル ジザヘル ジザヘル
 貴女はいない




バラード風にゆっくり歌い始めるスローなAメロから、ドラムのフィルをきっかけに一気にテンポ・アップし、激しくたたみかけていくBメロという、緩急でメリハリをつけた大胆なバンド・サウンドは斬新なものだった。
高い演奏力があり、最先端の音楽をやっていたバンドにふさわしい、渾身の力作ともいえる楽曲である。

だが最初に楽曲を受け取ったとき、エディ藩はクレージーキャッツの植木等が歌った曲に似ていると思い、それを鈴木邦彦にたずねたという。

いや、びっくりしたよね、正直ね。どういう風にやるのってたずねてしまった。これクレージーキャッツみたいな曲ですねって言ったら、どこがクレージーキャッツだって、作曲の鈴木邦彦がへそ曲げちゃって、いいよ、歌ってくれなくてってことになって‥‥。


思いもよらない言葉に鈴木邦彦も驚いただろうが、確かにふたつの曲はメロディーやフレーズではなく、構造が似ていたのだ。

エディ藩にはこのように、楽曲の構造や本質を瞬時につかむ音楽のセンスが備わっていた。
やがてその能力はソングライテイングの面に活かされて、多くのシンガーに歌い継がれる名曲を生み出すことになる。




(来週に続く)


エディ藩「丘の上のエンジェル」



〈参考文献〉エディ藩の発言は前半が下記のサイトからの引用です。公益社団法人 横浜中法人会 http://www.hohjinkai.or.jp/interview/0902.html

また後半は、越谷正義監修『ジャパニーズ・ロック・インタビュー集 時代を築いた20人の言葉』(TOブックス)からの引用です。

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