TAP the DAY

ビートルズの4人とエルヴィス・プレスリーが一堂に会した夜

2017.08.27

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「史上最も成功したソロ・アーティスト」とギネスに認定されたエルヴィス・プレスリー。
そして「史上最も成功したグループ・アーティスト」とギネスに認定されたビートルズ。
新旧を代表するスーパースター同士による面会が実現したのは、1965年8月27日のことだった。

この年の夏、ビートルズは全米ツアーの真っ最中だった。
8月15日にはニューヨークのシェア・スタジアムでコンサートをし、5万6千人という当時としては前人未到の動員数を記録している。
母国イギリスのみならず、アメリカにおいてもビートルズの人気は圧倒的だった。



一方のエルヴィスは人気絶頂だった1958年に徴兵され、2年後に除隊してからはステージを離れて映画の世界に活動の場を移し、スクリーンの向こう側のスターとなっていた。



ビートルズを乗せたリムジンが、ロサンゼルスにあるエルヴィス邸に到着したのは、夜の10時頃だった。
極秘での面会だったにも関わらず、門の前には数百人のファンが集まっていたが、警察による厳重な警備が敷かれていたこともあり、スムーズに事は進んでいった。

円形のリビングルームへと招き入れられたビートルズの4人は、ひどく緊張していた。彼らにとってエルヴィスは最大のアイドルだったからだ。
中でもジョン・レノンはエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」を初めて聴いたときに、「世界が変わってしまった」というほどの衝撃を受けたという。
彼らはスタジオ・アルバムでこそエルヴィスのナンバーをカバーしていないが、デビュー前は何十曲もレパートリーに入れており、1963年に録音された「ザッツ・オールライト・ママ」などは今でも聴くことができる。



エルヴィスは音の出ていない大型のカラーテレビを眺めながら、ソファーに座ってベースを弾いていた。
顔を合わせた彼らは、取り巻きも含めて自己紹介をすませたが、その後は中々会話が続かず、しばし沈黙が流れるのだった。

やがてエルヴィスが「君たちがただ座って僕を見ているだけなら、僕は寝てしまうよ」と言って笑うと、「それならちょっと楽器を弾いたり歌ったりしてみようか?」と提案した。
そうして楽器が用意されてセッションが始まると、ようやく緊張の糸も切れていった。
エルヴィスはギターでなく、練習中だというベースを手にしていたのでポール・マッカートニーはここぞとばかりに話しかけた。

「彼がベースにハマっているのはこの上なく嬉しかったよ。
それで『僕にもちょっと弾かせてもらえないかな、エル…』って声をかけたんだ。その瞬間、仲間になれたんだ」


ジョン・レノンによれば、最初に演奏したのはシラ・ブラックの「ユーアー・マイ・ワールド」だったという。



1時間ほどが過ぎた頃、彼らはセッションを終えてトークに戻った。
さっきまでとは違い、今度は互いのツアーでのエピソードや、飛行機で移動することに対する不安、車のことなど色々なことを話した。

気がつけば時刻は深夜の2時となり、4時間に及んだ面会はお開きとなった。

両者の間には、決して不安要素がないわけではなかった。
エルヴィスはアメリカのマーケットがイギリスに奪われている現状に危機感を抱いていたし、ビートルズのメンバーも、映画スターになってロックンロールを歌わなくなったエルヴィスに、不満を感じていた。

ジョンはのちに「僕たち全員にとって忘れられない夜だった」と振り返っているが、一方では「エンゲルベルト・フンパーティンク(甘いマスクと声で人気のポピュラー歌手)に会っているみたいだった」とも発言している。

しかしながら互いの敬意が薄れることはなかった。
エルヴィスはこの面会をきっかけにビートルズ、特にジョンを嫌いになったという話もあるが、エルヴィスのロード・マネージャーで盟友でもあるジョー・エスポジートによれば、エルヴィスがビートルズの悪口を言っているのは聞いたことがなく、エルヴィスは面会のあとも4人に敬意を払っていたという。
実際にエルヴィスは、「ヘイ・ジュード」など何曲かを録音している。



ジョンもまた、1974年に出版されたロックスター達を描いたアートブック、『ロック・ドリームス』の表紙でジョンとエルヴィスが並んでいることに対し、喜びを露わにしている。

「僕とエルヴィス! 夢が実現したわけだ。イギリス版の表紙を切り取って壁に貼ったよ。
それにしてもアメリカ版の表紙は小さくてダメだ。だからイギリス版の表紙を額縁位入れて飾ったというわけさ」




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