いつもサングラスをかけているミュージシャンといえば、U2のボノやレイ・チャールズなど、人によって様々に思い浮かべるだろう。そうしたミュージシャンたちの中でも、特にサングラスが印象的なのがロイ・オービソンだ。
ロイによれば、サングラスの着用は意図的な演出ではなく、偶然の産物だったという。
生まれつき視力が弱く、メガネなしではほとんど見えないほどだったロイは、幼い頃から分厚いレンズの矯正用メガネをかけて生活していた。その矯正用メガネが格好悪いからか、デビュー当初のジャケットでは、裸眼の写真が使われている。
60年代に入ってロックンロールのブームが鎮火すると、ロイもカッコつける必要がなくなったと感じたのか、メガネをかけたままの姿がジャケットに使われるようになる。
そんなロイ・オービソンに、転機が訪れたのは1963年のことだった。
サングラスを使いだしたのはアラバマ州でのことで、あのときはパツィ・クライン、ボビー・ヴィーとショウをやることになってましてね。
この日、ロイは乗っていた飛行機の中に、うっかりメガネを忘れてきてしまうというミスを犯す。裸眼だとほとんど何も見えなかったというロイの手元にあったのは、度付きの黒いサングラスだけだった。
それをかけて舞台に出るのは照れくさかったんですけど、結局サングラス姿で出たんです。
このときの公演で周りからの評判がよかったのだろう、ロイはその後のライブでも、サングラスをかけるようになる。それが1963年5月から始まったビートルズとのツアーだ。
この年の1月に2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」を大ヒットさせたビートルズは、一気にアイドル的な存在として注目を集めつつあった。
ツアー初日、会場には観客だけでなく、話題のビートルズがどんなものなのか見てみようと、レコード会社や音楽メディア紙の人間が、イギリスだけでなくヨーロッパの各地からも集まっていた。
どちらがトリを務めるかは直前まで決まっていなかったのだが、出演料はロイのほうが多いから、その代わりにトリをビートルズに譲ってくれないかと打診され、ロイはそれに承諾してビートルズの前座として、ステージへと上がっていくのだった。
そのときにサングラスをかけて舞台に出たら、ヨーロッパじゅうでたちまち評判となって。大成功です。その夜は黒い服も着てたんじゃないかな。そうやって黒装束と黒いサングラスがついてまわるようになったんです。
観客の多くがビートルズ目当てだったにもかかわらず、この日はロイに対して14回ものアンコールが起きたという。
ビートルズとのツアーはサングラスのイメージを定着させただけでなく、ヨーロッパに新たな市場を開拓するという意味でも、ロイのキャリアに大きな影響をもたらした。
そして翌1964年、彼の代表曲となる映画『プリティ・ウーマン』の主題歌「オー・プリティ・ウーマン」が大ヒットを記録することとなる。
黒いサングラスをかけて歌うロイの姿は、瞳とともに、隠された何かを観るものに想像させる。確かにロイの素晴らしい歌声ならば、サングラスをかけるようになっていなかったとしても、同じような成功を収めていたかもしれない。
それでもやはり、黒いサングラスは、彼の成功と切っても切れない関係にあるのではないか、とも思うのである。
引用元:
「ポップ・ヴォイス スーパースター163人の証言」ジョウ・スミス著/三井徹訳(新潮社)
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