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グラム・ロックの誕生~全英に衝撃を与えたT・レックスのテレビ出演

2023.09.14

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1970年代前半に一世を風靡したグラム・ロック。
派手できらびやかな衣装に身を包み、男でありながら濃い化粧をするというその見た目は、まさにロックとファッションの融合であり、ロックが新たな時代を迎えたことを感じさせるものだった。

グラム・ロックの前兆は1960年代終わり頃からイギリスで見られた。
様々なバンドやアーティストがそれぞれに、アンディ・ウォーホルのアートやSF、1930年代のハリウッド映画、アメリカ西海岸で生まれたサイケデリックの色彩感覚など、多彩な文化を取り込んでいき、少しずつ1つのシーンとしてまとまっていったものと考えられる。

そんなグラム・ロックを世界的に有名にした人物といえば、やはりデヴィッド・ボウイとマーク・ボランだろう。

デヴィッド・ボウイは1972年に5thアルバム、『ジギー・スターダスト』をリリースすると、アルバムの主人公である架空のロック・スター、ジギー・スターダストに自ら扮して、世界中を熱狂させた。
関連コラム:デヴィッド・ボウイ~ジギー・スターダストとの別れ

T・レックスのマーク・ボランもまたボウイに負けず劣らぬのカリスマ性で人気を集め、グラム・ロックを世界的なムーブメントにまで押し上げた。
中でも1971年にテレビ番組で披露したパフォーマンスはその影響力の大きさから、“グラム・ロックの誕生”と呼ばれている。

マークがT・レックスの前身バンド、ティラノザウルス・レックスを結成したのは1968年。
当初は6人組のエレクトリック・ロックバンドだったが、メンバーの意思をまとめる困難さと自分の音楽を自由にやりたいという想いから、バンドはアコースティック・デュオへと路線変更した。

大きく舵を切ったティラノザウルス・レックスはまずまずの成功を収めたのだが、アメリカ進出に失敗したことから、マークは再びエレクトリック・ギターを手に取る。
それまでパートナーだったスティーヴ・ペレグリン・トゥックを解雇すると、新たにミッキー・フィンをパートナーに迎え、1970年の3月には勝負をかけた4thアルバム『ベアード・オブ・スターズ』をリリースした。

ところがアルバムは臨んでいたようなヒットには至らず、マークは深く失望する。
そんなときに出会ったのが、デヴィッド・ボウイだ。
ボウイの音楽に直接触れたことでマーク自身の感性も大きく変化するのだった。

バンド名をT・レックスと改め、心機一転して1970年9月にリリースした1stシングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」は徐々に順位を上げていき、翌1971年1月には全英チャート2位まで上昇する。
バンドの変化は音楽面だけでなく、見た目においても衣装を派手にしていったり化粧をしたりと、少しずつ変化していった。


そんなときに舞い込んだのが、英BBCの人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演だった。
3月24日、生放送本番のステージに現れたマーク・ボランはサテンのスーツを身にまとい、両目の下にキラキラのグリッター(ラメ)を装飾していた。
メイクを施したのはマーク・ボランのマネージャーをしていたトニー・セクンダの妻で、ファッション誌の編集をしていたチェリタといわれている。

グリッターの効果は抜群だった。
この日歌ったのは2月にリリースされ、バンドにとって初の全英チャート1位をもたらした2ndシングル「ホット・ラヴ」。
マークの姿が生放送でイギリス中のテレビに映し出されると、多くの若者たちが衝撃を受けた。


それまで局所的なムーブメントに過ぎなかったグラム・ロックは、この放送をきっかけに全国へと広まっていく。

マーク・ボランはグラム・ロックを牽引するスーパー・スターとしての地位を確立し、半年後の9月にリリースされたT・レックスの2ndアルバム『電気の武者』で見事、全英アルバムチャート1位を獲得するのだった。


(このコラムは2016年9月20日に公開されました)


T・レックス『電気の武者』(デラックス・エディション)
Universal




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