『マイク・ダグラス・ショー』は、1961年から約20年近くに渡ってアメリカで放送された人気トーク番組だ。
その番組ゲストにトム・ウェイツの名が挙がったのは、1976年のことだった。
番組のディレクターを務めていたドン・ロイ・キングは、3年前にニューヨークのナイトクラブで観たトムを鮮烈に覚えていた。
こいつはイケる、と私は思った。
その男は酔いどれの路上生活者になりきっていた。
ブルドーザーみたいなダミ声とろれつの回らない舌で隠喩をちりばめ、意識の流れならぬ“半無意識の流れ”を垂れ流した。
トムの名が挙がったきっかけは、テレビ局にレコード会社から新作『スモール・チェンジ』が送られてきたからだった。
しかし、ドン以外のスタッフは誰もトム・ウェイツを知らなかった。
1973年にデビューしたトムだが、アルバムはチャート100位以内に入ったこともなく、熱心な音楽ファンの間で知られる程度の知名度しかなかった。
ドンはライヴを観たときに感じたその魅力を熱弁し、ぜひ番組に呼ぼうと強く推薦した。
こうしてトム・ウェイツをゲストとして招待することが、決定したのだった。
そして収録日。
リハーサル現場にいたドンのもとに、スタッフから連絡が入った。
車でスタジオまで連れてきたはずなのに、誰もトム・ウェイツを見ていないというのだ。
その頃、トムはスタジオのロビーで眠りこけていた。
あまりにもみすぼらしい格好だったため、警備員に出演者だと言っても信用してもらえず、中に入れなかったのだという。
そこへスタッフがやってきたことで、ようやくトムはスタジオの中に入ることができたが、ドンはステージ上や歌の世界だけでなくプライベートでの格好までもが、ホームレスさながらなことに不安を覚えた。
「演技じゃなかったのか! おれとしたことが、こんなやつを全国放送に推しちゃったのか。観客に小銭をせびるのがオチだぞ!」
本番前には司会のマイク・ダグラスがドンのもとへとやってきた。
「なんだあの男は!? ゲストに挨拶しようと楽屋に行ったら、ホームレスが寝てるじゃないか! 警備員は何をしてる!」
こうしてスタッフ、司会者、そして推薦したドン本人までもが不安を抱く中、番組収録は始まった。
マイク・ダグラスの紹介でトムが登場すると、ちょっとしたトークを挟んで早速ステージでの演奏となる。
この日、トムは前作の『娼婦たちの晩餐~ライヴ』から「タマゴとソーセージ」、そしてリリースしたばかりの『スモール・チェンジ』からタイトル曲「スモール・チェンジ」の2曲を披露した。
ジャズ・ミュージシャンたちをバックにして歌うトムが映し出すのは、旅の中で見てきた夜の世界に生きる人々の姿だ。
バラエティ番組特有の明るい雰囲気は一転してトム・ウェイツの色に染まった。
トーク・コーナーに移ると、トム・ウェイツの世界に惹き込まれた司会のマイク・ダグラスが、興味津々の様子で話しかけていく。
トムは落ち着きがなく、居心地も悪そうだが、ジョークを交えながら雄弁にしゃべり、ここでも観客や視聴者の心を掴んでみせた。
ショー・ビジネスやテレビ、芸能といった華やかな世界から常に距離を置いてきたトム・ウェイツ。
世間はこの頃になってようやく、彼の名を知りはじめるのだった。
引用元:
『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ アルバム別インタビュー集成』ポール・マー・ジュニア編/村田薫 武者小路実昭 雨海弘美 訳(株式会社うから)