「ロックンロールに別名を与えるとすれば『チャック・ベリー』だ」(ジョン・レノン)
1950年代に数々のヒット曲を放ち、後世のロック・シーンに計り知れない影響力を与えたロックンロール創始者の1人、チャック・ベリー。
ジョン・レノンも彼に多大な影響を受けたミュージシャンの1人だ。
ジョンがロックンロールに目覚めるきっかけとなったのは、エルヴィス・プレスリーが1956年にリリースし、世界的な大ヒットとなった「ハートブレイク・ホテル」だった。
「あれ以来、世界が変わってしまったんだ。彼がやってくれたのさ、彼とロニー・ドネガンがね」
最初に聴いた黒人のロックンロールはリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」だった。そのときはあまりの素晴らしさに言葉も出なかったという。
チャック・ベリーはエルヴィスやリトル・リチャードのように、ジョンの人生や価値観を一変させたわけではなかった。にもかかわらずジョンは最大級の敬意を払っている。
ギター奏法やダックウォークといったパフォーマンスは誰もが認めるところだが、ジョンに言わせればその言葉が革新的だったという。
「彼は永遠の巨人さ。何度も言ってきたことだけど、彼はロック界で最初の詩人なんだ」
「アイ・ラヴ・ユー」や「ベイビー」といった甘い言葉のラヴ・ソングが氾濫する中、チャック・ベリーはその時代を生きる人々の現実を、ときには人間の本質をユーモラスに歌ってきた。そうしたセンスはジョンの詩にも受け継がれている。
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スウィート・リトル・シックスティーン
あの娘は反抗期
タイトなドレスに口紅つけて
ハイヒール鳴らして歩くのさ
でも明日の朝になったら
趣味を変えなくちゃならない
スウィート・シックスティーンになって
また教室に戻っていくのさ
そんな2人が共演を果たしたのは1972年の2月。
ビートルズはすでに解散し、ジョン・レノンのセカンド・アルバム『イマジン』が世界中で大ヒットしていた。
ジョンはお昼の人気番組「マイク・ダグラス・ショー」に、オノ・ヨーコとともに1週間に渡って出演していたのだが、そのゲストとしてチャック・ベリーが登場したのだ。
両者はチャック・ベリーのヒット曲、「メンフィス・テネシー」と「ジョニー・B・グッド」を一緒に歌うと、その後のトークコーナーでは互いのルーツについて語り合うのだった。
共演から1年後の1973年、ちょっとしたトラブルが起きた。
ビートルズの「カム・トゥゲザー」がチャック・ベリーの楽曲の盗用だとしてジョンが訴えられたのだ。
とは言っても訴えてきたのはチャックではない。数々の楽曲の著作権を持ち、音楽業界のドンと恐れられたルーレット・レコードの創設者、モリス・レヴィだ。
「カム・トゥゲザー」はジョンがビートルズの楽曲の中でも一番のお気に入りとして挙げている曲で、確かにチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の歌詞を一部引用していた。
両者による話し合いの結果、告訴しない代わりにモリスが著作権を持っている楽曲をカバーするということで話がまとまる。
こうして誕生したのが1976年にリリースされたカバー・アルバム、『ロックンロール』だった。
経緯はともあれジョンはこのアルバムで、チャック・ベリーを含めた50年代のロックンロール・スター達に、そしてその楽曲に最大限の敬意を払いつつ、70年代の新たなロックンロールとして見事に蘇らせている。
ビートルズが解散する直前、ポールは原点回帰を掲げてバンドが結成された頃に戻ろうと提案していたが、ジョンはさらにその前、自身の音楽の原点である1950年代後半に戻るのだった。
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参考文献:
『ジョン・レノン』レイ・コールマン著/岡山徹訳(音楽之友社)
『ビートルズを抱きしめたい』デニー ソマック, ケヴィン ガン, キャサリン ソマック著/香月利一訳(音楽之友社)