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コンドルはどこに向かって飛んでいったのか

2016.06.02

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できるなら僕は
カタツムリより雀になりたい
ああ、そうとも
もし、できるなら
僕はきっと雀になる

哀愁を帯びたアンデス山脈のメロディーにのせられた不思議な言葉の世界。「僕は岩だ。僕は島だ」(「アイ・アム・ア・ロック」)と歌ったポール・サイモンならではの、たとえ、の連続は、2番の歌詞でも続いていきます。


できるなら僕は
釘よりハンマーになりたい
ああ、そうとも
もし、できるなら
僕はきっとハンマーになる

ポール・サイモンがこのメロディーに出会ったのは、1969年のことでした。コンサートで訪れたパリでのことです。ポールはその地で、この曲を演奏するロス・インカスに魅了されたのでした。


「僕は毎晩のように、ロス・インカスがこの曲を演奏するのを聴きにいったものです」と、ポール・サイモンは語っています。「僕はこの曲が大好きになりましたし、いつか演奏してみたいと思っていたのです。そして僕は思ったのです。そうだ、歌詞を乗せてみよう、と」

ロス・インカスはアルゼンチン出身のグループで、リーダーのホルヘ・ミルチベルグはすぐ、ポール・サイモンと交流を始めることになりますが、「コンドルは飛んでいく」は、彼らのオリジナルではありません。

この哀愁漂うメロディーを書いたのは、ペルー人の作曲家にして民俗音楽研究家であったダニエル・アロミア=ロブレスだと言われています。

彼は、自らが収集してきた伝統的なメロディーをモチーフに、オペラを発表します。「コンドルは飛んでいく」は、その序曲として用意されたものでした。

1913年のことです。
時代は、革命の嵐が吹いていました。ロシア革命やメキシコ革命の熱そのままに、アンデス山脈の先住民労働者の団結を描いたのが、このオペラでした。
そんな背景を知ると、ポール・サイモンが書いた詩の意味が少しだけわかるような気がします。


遠くへ
できるなら遠くへ飛んでいきたい
自由に行き交う白鳥のように
土地に縛り付けられた人々が
奏でるのは
悲しき響き
悲しき響きなのです

ホルヘ・ミルチベルグは、サイモン&ガーファンクルの録音に参加しています。「コンドルは飛んでいく」のバックで奏でられているアンデス地方の弦楽器チャランゴを弾いているのが、ミルチベルグです。スペイン人がもたらしたギターは、一回り小さくなり、独特な響きを奏でます。
そしてその音色は、不思議と日本人の心にしみ込んでくるのです。



サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』
SMJ

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