♪彼女は女の如く奪い、そうさ
彼女は女の如く愛を交わし、そうさ
そして彼女は女の如く痛みを感じる
だが、少女のように
わっと泣き出すのだ ♪
1965年。アコースティック・ギターをエレクトリック・ギターに持ち替え、ボブ・ディランはアメリカ中をツアーして回っていました。新しいサウンドと詩の世界は絶賛されたかわりに、何度もブーイングを浴びせかけられました。
激動の一年もあと少し、という11月の第4木曜日。ディランはこの日に「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を書いたと言われています。
11月第4木曜日。その日、アメリカでは感謝祭が行われます。1620年は記録的な寒さで、ピルグリム・ファーザーたちを飢饉が襲いました。多くの死者も出ましたが、ネイティヴのワンパノアグ族の助けもあり、何とかその冬を乗り切ったのです。
そしてワンパノアグ族は、入植者たちにトウモロコシなど、新大陸の作物の栽培方法も教えてくれました。翌1621年、入植者たちは秋の恵みに感謝するとともに、ワンパノアグ族を招待して宴を開きました。それが感謝祭の起源と言われています。
東洋思想に触れることでその詩の世界を変えていったディランでしたが、彼もまた疲れ、そして飢えていました。
実際、「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」の歌詞の中で、主人公は歌の女性に近づいた理由を「飢えていた」からだと認めています。
聖なる世界を詩に託したディランでしたが、彼の疲れ、乾きを癒してくれたのは、ニューヨークを代表する俗世界でした。
当時、アンディ・ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」は、ニューヨークのポップ・カルチャーにおける中心地のひとつでした。その「ファクトリー」に突然、妖精のような女の子が現れたのは、1965年の3月のことでした。
イーディ・セジウィック。その年の「ガール・オブ・ザ・イヤー」に輝くことになる女性です。
イーディは瞬く間に映画女優として、ピンナップ・ガールとして人気を博します。誰もが彼女の虜になりました。社交界のあらゆる人たちがイーディを取り囲みました。パティ・スミスですら、彼女に憧れた、と告白しています。
そして。。。イーディはディランと出会うことになります。
♪誰も痛みを感じない
今夜、俺は雨の中を
立ち尽くしているというのに ♪
ひとり、孤独を感じるディラン。しかし誰も、高慢でクールに振舞うディランが孤独を抱えてるとは思わなかったのでしょう。そして、マンハッタンの住人の新しい興味はイーディでした。
♪誰もが知っているのは
彼女が新しい服を手に入れたってことだ ♪
後に薬物の過剰摂取で28年の生涯を閉じることになるイーディが、ドラッグに手を染めるきっかけになったのは「ファクトリー」だったと言われています。
♪クイーン・メリーは僕の友達さ
きっとまた、彼女に会いにいくだろう ♪
ディランは、歌の中で彼女のことを「クイーン・メリー」と呼んでいます。確かにイーディは「ファクトリー」の幼い女王のような存在でしたが、その名前から、当時のミュージシャンたちは、あるスラングを想定したものでした。
メリー・ジェーン。ドラッグのスラングです。
♪ 霧、アンフェタミン、真珠を
身にまとった普通の女さ ♪
華やかに着飾り、ドラッグと戯れ、ショービズの世界を自由に泳ぐイーディ。しかし、一皮剥けば彼女は、無邪気な少女でしかなかったのです。イーディという「色」が「無常」であることを知った時、ディランと彼女のロマンスは幕を閉じたのでしょう。
♪ 彼女は女の如く奪い、そうさ
彼女は女の如く愛を交わし、そうさ
そして彼女は女の如く痛みを感じる
だが、少女のように
わっと泣き出すのだ ♪
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