♪ みんな、ゲット・ストーンドすりゃいいのさ ♪
マリファナでハイになった状態のことを、ストーンドといいます。実際、スタジオではミュージシャンたちがマリファナを回し吸いながら、楽器まで交換して演奏した、という逸話が残された「雨の日の女」ですが、ボブ・ディランははっきりとこう言っているのです。
「私は、ドラッグ・ソングなど一度も書いたことはない」
だったら、思わせぶりなアレンジをするな、とも言いたくなるのですが、ラジオ局だけでなく、多くのリスナーがこの歌をドラッグ・ソングだと思い込んだのは事実でした。
しかし、ディランがドラッグ・ソングではない、と言うのであれば、「ストーン」は石を投げる、「ゲット・ストーンド」は石を投げつけられる、と訳してみるしかありません。
♪ いい子でいようとすると
みんな君に石を投げるのさ
言ってた通りに
みんな君に石を投げるのさ
家へ帰ろうとすると
みんな君に石を投げるのさ
それから君がひとりでいたって
みんな君に石を投げるのさ
でも、俺だけじゃないだろ
みんな石を投げられりゃいいのさ ♪
石を投げる。。。
俺だけじゃない。。。
このフレーズから連想されたのが、ヨハネ福音書の一節でした。律法学者やパリサイ人が、姦淫の罪でつかまったひとりの女性を連れてきて、イエスに問います。
「モーセの律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
すると、イエスはこう答えます。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
ディランはこの逸話をモチーフに、自らの浮気を自己弁護しているのだ、というわけです。
当時、ディランにはサラという妻となる女性がいながら、イーディというピンナップ・ガールと短いロマンスを繰り広げていたのは、前回の「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」のコラムでご紹介したとおりです。
俺を非難してもいいのは、浮気をしたことのないやつだけだ! ディランはそんなメッセージをこの歌に託したのでしょうか。
♪ みんな君に石を投げて
これで終わりだというのさ
みんな君に石を投げて
それでいてまた戻ってくるのさ
クルマに乗っていると
みんな君に石を投げるのさ
ギターを弾いていると
みんな君に石を投げるのさ
でも、俺だけじゃないだろ
みんな石を投げられりゃいいのさ ♪
2012年。ようやく、ディランはこの歌の意味について、私たちにヒントを明かしてくれました。それはローリング・ストーン誌でのインタビューでのことです。
「使徒言行録に馴染みがある人は多くないらしい」
ディランが口にしたのは、新約聖書でも、ヨハネ福音書でもなく、使徒言行録とも使徒行伝とも呼ばれる使徒たちの行動記録です。
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。
ステパノ、もしくはステファノは、最初の殉教者と言われています。
前作「追憶のハイウェイ61」まで、東洋思想を身にまとっていたディランですが、「ブロンド・オン・ブロンド」では身を翻すように、聖書の世界に足を踏み入れます。
「ジョアンナのビジョン」では、ヨハネの女性名を使って、ディランならではの黙示録のビジョンを展開しています。観客から痛烈なブーイングが浴びたディランは、自らを新たなる時代の使徒になぞらえていたのかもしれません。
(このコラムは2015年12月3日に公開されました)
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