1959年1月31日。
ミネソタ州北東部の都市、ダルースにバディ・ホリーとクリケッツがやってきた。彼が飛行機事故で亡くなるのは2月3日だが、バンドのメンバーも、コンサート会場に集まったファンたちもそんな未来を知るよしもなかった。
会場には、17歳のロバート・ズィマーマンもいた。後のボブ・ディランである。ダルースは、ディランの生まれ故郷だった。
「彼は偉大だった。信じられなかった。そう、舞台に立つバディ・ホリーのイメージを忘れることなど、絶対にありえない」
ボブ・ディランはグラミー賞の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」の授賞式でそう語っている。受賞作は1998年に発表された『タイム・アウト・オブ・マインド』である。
実は、ディラン、少年時代からバディ・ホリーの大ファンだった。
「バディ・ホリーは詩人だよ。時代の先を走ってるのさ。俺は、ノース・ダコタやサウス・ダコタで彼と一緒に演奏したことがあるのさ」
そんな作り話を誇らしげにしていた、という記録もある。
では何故、『タイム・アウト・オブ・マインド』の授賞式でディランはバディ・ホリーについて語り始めたのだろうか。
「レコーディング中、どこもかしこも、バディ・ホリーだったのさ。わかるかい。こういうことさ。廊下を歩く、するとバディ・ホリーの『ザットゥル・ビー・ア・デイ』が聞えてくる。車に乗ってスタジオに向かおうとすれば、ラジオから『レイヴ・オン』が聞えてくる。スタジオに入れば、誰かがカセットで『イッツ・ソー・イージー』をかけている、といった具合さ。それが来る日も来る日も続いたんだ。このレコードを聴けば、どこかにバディ・ホリーの魂が潜んでいるはずだ」
ボブ・ディランはステージ、その他でも、時折、バディ・ホリーのカバーを披露している。
たとえば、こんな具合に。
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