「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

月刊キヨシ

「核なんて恐くない!」〜笑えないパロディ『アトミック・カフェ』

2024.03.11

Pocket
LINEで送る

「唯一の被爆国と言うが、世界にはその日を祝った人たちもいた」

ある高名な文学者が、アジアで投げかけられた言葉である。それが事実であることは、映画『アトミック・カフェ』を見てもわかる。

この映画には、原爆投下による日本の降伏を祝って、路上にくりだしたアメリカ市民たちが、男も女も着飾ってパレードする光景が当時のニュースフィルムの実写映像でふんだんに収められている。

「日本の戦意を打ち砕いた原爆とは何と素晴らしいものだろう」「原爆が我々の手にあってよかった。やっとのことであの忌々しい戦争から解放されることができた」
兵士たちは家族の待つ、温かい我が家に戻ることができる。

「ヒロシマへの投下は、私たちの祈りに対して神様が下さったご返事なのだ」という牧師の言葉にあるように、海の向こうではそんな歓喜に沸き返っていたことを、日本人は知らずにいた。

『アトミック・カフェ』は、ケビン・ラファティたち3人の監督が、5年の歳月をかけて核問題に取り組んだ映画作品。冷戦下1940~50年代のアメリカ政府広報映画とメディア・プロパガンダ、ニュース映画などの映像をもとに、ナレーションも撮り下ろしもなしの「エディトリアル・ドキュメンタリー」と名づけた手法で作られた。1982年に公開され、政府とメディアの大衆操作の実態に切り込んだ作品として評価も高い。

広島上空の快晴を確かめた後、「ターゲットに命中させる以外なにも考えていなかった」と語る爆撃機エノラ・ゲイのポーツ・ティベット機長。

投下直後の広島の廃墟を、「ダブル・ヘッダーの試合の後の野球場みたいだ」と形容する軍関係者。

学校で警報が鳴ると、教師の指示通りに嬉々として机の下にもぐりこむ生徒たち。

中でも信じがたいのは、ネヴァダでの原爆演習だ。防護服もなく、至近距離で炸裂する原爆実験で眼がくらむような閃光を浴びた兵士たちは、塹壕から出て小銃一つで立ち昇るきのこ雲に向かって歩いてゆく。

演習の教官は兵隊にこう訓示する。

「原爆の爆発は世界一美しいものだが、危険は三つある。Blastブラスト(炸裂)、heatヒート(熱)、Radiationラディエイション(放射能被曝)だ。目新しいのがラディエイション。これは見えない触れられないが、一番どうでもいいことだ。計器に高い数値が出ても、命令通りにやれば気分が悪くならずにすむ」

そんな信じられない言葉やシーンが飛び交う。そのテイストは、もはやパロディというよりブラック・ユーモアといったほうがいい。

被曝を知らない国から持ち込まれた原発。とりわけ、教官の言葉に象徴されるように、アメリカという国が被曝の恐ろしさについどれほど無知であったか、またあえてその恐ろしさを徹底して隠そうとしてきたかを教えてくれる。

そんなアメリカによって、安全神話とともに日本に持ち込まれたのが原子力発電所だったというお話は笑えない。

ラブソングになった冷戦

この映画のバック・ミュージックには、すべて原爆や放射能をテーマとした曲が使われている。これほどの数があったことも驚きだが、選曲もこっていて、「ぼくのアトミック・ベイビーはTNT(爆薬)の百万倍!」と歌う「Atomic Bomb Baby」など。「This Cold War With You」は、冷戦をやるせないラブソングに変えてしまったのだから。

「This Cold War With You」

陽が沈み、僕は悲しいブルーだよ
鉄のカーテンが降りて、ぼくらは冷戦中
君は口をきかない。ぼくも口をきかない
頑固なふたりは冷戦中
ねえ、愛しあえるのかい
ぼくらみたいなふたりでも
いつまでも冷戦を続けて
心も不自由なままで
素直になろう。やめようって言おう
ずっと冷戦中なんて耐えられない


参考資料/『アトミック・カフェ』(竹書房)




●この商品の購入はこちらから

●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

    関連記事が見つかりません

[月刊キヨシ]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ