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21歳のスティーヴィ・ワンダーが「心の詩」で奏でる「スーパーウーマン」

2015.04.20

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21歳。
日本では大半が大学生活を送っているのかもしれない。
そして就職活動にいそしんでいるのかもしれない。
その意味では、今後の人生を深く考える年齢であるのだろう。
21歳。
スティーヴィ・ワンダーも大きな転機を迎えていた。

11歳でモータウンと契約、12歳で盲目の天才少年としてデビューした後はモータウンの大人達に育てられてきたスティーヴィ・ワンダー。15歳でボブ・ディランのカヴァー「風に吹かれて」が成功したことにより、その後も白人のロックやポップスのカヴァー曲を中心に、モータウン好みの音楽をスティーヴィに歌わせてきた。また、スティーヴィもそういったカヴァー曲を楽しんで歌ってきたことから、彼の黒人音楽だけにとらわれない音楽性が培われてきたと言える。10年の契約を経て、そろそろ自分の頭の中に浮かんだメロディーを自由に奏でてみたいと思ったとしても不思議ではない。

そして1970年、20歳になったスティーヴィはアルバムのセルフ・プロデュース権を獲得し、2枚のアルバムを発表した。しかし内容は、当時結婚していたモータウンの歌手シリータ・ライトとの共作とカヴァー曲がまだ中心だった。

1971年、モータウンからマーヴィン・ゲイの初のコンセプチュアル・アルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」の成功は、スティーヴィの耳にも入っていた。
それはちょうど21歳の誕生日を迎えるスティーヴィ・ワンダーの、モータウンとの契約更改の時期でもあった。

スティーヴィはそれまでのモータウンとの契約の一切を破棄し、自身のプロダクションと出版社を立ち上げ、デトロイトからニューヨークへ移住。
今まで公私共にパートナーであったシリータ・ライトとも離婚してしまう。

そうして全く自由の身となったスティーヴィはシンセサイザーに出会った。
スティーヴィはトントズ・エクスパンディング・ヘッド・バンドのプログラマー、マルコム・セシルとロバート・マーゴレフを訪ねる。
彼らは盲目のスティーヴィでも使えるように改良したシンセサイザーをグリニッチ・ヴィレッジにあるエレクトリック・レディ・スタジオに運び入れた。
ここから、スティーヴィの完全自作自演のアルバム制作が始まった。

『シンセサイザーは、ぼくが長い間やりたいと思っていたことを的確にかなえてくれる・・・
ぼくの音楽に新しい次元を加えてくれたんだ・・・
シンセサイザーを使うのは、頭に浮かんだイメージを直接表現する方法だと思う・・・
だからこのタイトル「心の詩(Music Of My Mind)」になったんだ』
(~アルバムのライナーノーツより)


そんなスティーヴィ・ワンダーの心に浮かんだメロディーがいっぱい詰まったアルバム『心の詩』からシングル・カットされた「スーパーウーマン」は、シリータについて書かれた歌と言われている。

僕の彼女はスーパーウーマンになりたいという
そして僕はさよならを言わなきゃならなかった
ずっと泣いて過ごすことなどできないから


21歳で離婚を経験した彼の等身大のラブ・ソングとして、心に響く1曲である。

「 Superwoman」


子供時代から天才ミュージシャンと呼ばれてきたスティーヴィ・ワンダー。
しかしどんな天才であっても、21年間の経験は私たちと大きく変わらず、21歳の器で経験してきたはず。
彼がその一瞬一瞬を素直に生きてきたからこそ、多くの人の心に響く音楽を奏でられるのだろう。


<ミュージック・ソムリエ 阪口マサコ>

※参考文献:「モータウン・ミュージック」ネルソン・ジョージ著 林ひめじ訳 早川書房
      「心の詩」ライナーノーツ 上田力著

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