“日本のシャンソンの女王”と呼ばれた稀代の歌手、越路吹雪。
彼女にはいくつもの浮世離れした逸話が残っており、その“伝説”は今も語り継がれている。
今回は伝説の歌姫・越路吹雪にまつわる“象徴的なエピソード”を全3回に渡ってご紹介します。
──彼女が宝塚歌劇学校にいた時代のこと。
当時、宝塚の近くに『おまっとうさん』という店があった。
彼女はそこの常連だったという。
キツネうどんやあんみつを食べさせる店だ。
彼女はほぼ毎日顔をだしていた常連だったから、いくら食べてもツケでよかった。
ある時、彼女は両親から“ギターを買うため”としてお金を送ってもらった。
彼女の父親はサラリーマンだったので、特に裕福な家庭でもなく、生活をきりつめて送金してきたに違いない。
ところが彼女は楽器屋に行くこともなく、なんと全額『おまっとうさん』に持っていったという。
まさかギターを買うお金が全部食べ物に変わったと言うわけにもいかず…悪知恵の働く彼女は「ギターは買ったんだけど、今度はバレエに使うトゥーシューズを買わなくちゃいけないからお金を送って欲しい」と両親に手紙を書いた。
そんなことをくり返しながら、彼女の胃袋はますます大きく丈夫になっていった。
宝塚時代だけではなく、退団後シャンソン歌手になってからも、人の3倍は食べたという。
「コーちゃんこれ食べると体にいいそうよ」と誰かに言われると、たとえそれが不味い食べ物であっても…目をつむり、噛まずに飲み込んでいた。
考えようによっては、それだけ自分の身体や健康に気をくばっていたのである。
そんな彼女だから、宝塚歌劇学校時代にはそうとうの“大食い”として有名だった。
先輩や先生たちから「食べるくらい熱心にレッスンもすれば、将来は有望!」と冗談を言われていたほどだ。
彼女はこの頃、食べるだけではなく、酒も煙草をやるようになる。
酒はそれほどでもなかったというが、煙草は周囲から“ニコチン中毒”と言われるほど吸うようになる。
さらに本科生になってからの楽しみが、もう一つ増えた。
1ヶ月に1度だけ、先輩たちが出演する宝塚大劇場を見学させてもらえるのだ。
本科生たちの席は3階の最上段だった。
そこから上級生や大先輩の公演を観るのだが…彼女は舞台を観るよりも、休憩時間にうどんを食べるのが何よりの楽しみだったという。
同期生の皆は上級生らの演技を観て、感じたことや参考になる個所をメモしたりして勉強していた。
彼女は「3階のてっぺんってのは凄く高いのね。すり鉢の底を観ているようなものね。」と言って、時にはイビキをかいて眠りこけ、同級生を笑わせた。
1939年の春、そんな“落ちこぼれ”の彼女も“ラスト・コーちゃん”の異名をもらいながら本科を卒後した。
越路流に言うと「ラストもトップも卒後すれば同じ!」ということになる。
本科の卒業式には校長先生が長い訓話をする習慣があるが、彼女が卒業して宝塚のスターになり、さらに歌手として成功したころ、校長先生は越路吹雪の名を持ち出してこう言った。
宝塚を出た方で、歌手の越路吹雪という人がいます。
あの人は、予科・本科とも卒業する時は宝塚はじまって以来の悪い成績で、これから先、どうなるのかと心配していました。
ところが東京に出て、ミュージカルのスターになり、越路節のシャンソンを歌って多くのファンを魅了し、押しも押されもせぬ人気者になりました。
ですから、皆さんの中に大変成績が悪い人がいたとしても力を落とさずに、越路吹雪を思い出し、自分を励まして下さい。
宝塚歌劇学校を卒業して初舞台を踏んだ彼女にも徐々にファンがつきはじめた。
彼女のファンには大人のファンが圧倒的に多く、当時、女学生のファンが多かった宝塚では“珍事”であった。
宝塚はこの不思議な現象に戸惑った。
そして「彼女にはなぜかファンが多いから何か役をつけなければならないでしょう…」と、ファンのために主役を与えた。
彼女は背が高かったので、必然的に男役を与えられた。
今も昔も宝塚の男役のファンは熱狂的である。
若い女性のファンならファンレターを出したり、花束や贈り物をして満足する。
しかし、東京や大阪の奥様たちはそれではおさまらないのだ。
彼女を食事に誘ったり、中にはレズのファンもいた。
彼女の手を握りしめ、熱っぽく見つめ、接触しようとする。
彼女はこうしたファンをいっさい無視し、冷たくあしらった。
宝塚の楽屋にファンからの贈り物が届いても、平気で忘れて帰ったりした。
「ベトベトされるのが大嫌い!」と大きな声で言った。
ある日、東京の雑誌社から記者が来て取材を申し入れてきた。
当時、人気を伸ばしていた宝塚女優を集めての座談会を開きたいという。
淡路千景、久慈あさみ、そして越路吹雪の3人が選ばれた。
取材当日、記者が「おコーヒーにしますか?それともジュースになされますか?」と聞いたところ、彼女は「ビール!ビール!」と大声で叫び、記者や関係者一同が青ざめたというエピソードが残っている。
そんな彼女だから、あっさりしたファンが好きだった。
ねっとりつきまとうようなファンには露骨に嫌な顔を見せた。
(引用元・参考文献:『聞書き 越路吹雪 その愛と歌と死』江森陽弘著・朝日新聞社)
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